F.CHOPIN、ショパンとサンドの仲を取り持つマルキとディプ

ボリーがショパンを訪ねて来た真意は何かはわからないが、ショパンがサンドから頼まれていた何かをボアに渡したことをサンドへの書簡に書いて郵便を出したところだった、その3日後のことだった。
サンドがショパンからの書簡を受け取る前に
サンドからショパンへ書簡が届いてしまったと推測される。またも、すれ違いながらもノアンとパリの間を頻繁に連絡を取り合うサンドとショパン。
「ロゼール嬢は、あなたがお探しのドレスの生地を見つけたようです。
(オーガスティーヌのマントが入った段ボール箱)すぐにそれをに送ります。
昨夜ボリーが来ました。
ピエールがボアから聞いたことによると、彼はパリを今日はまだ出発しません。
私たちはパリでロシアのような雪景色と少しの日光を浴びています。
こんな天気でよかったです。
私には見えるのです、あなたは長い散歩に出かけられていることでしょう。
昨日のあなたのパントマイムで
ディブ[小さな犬]をジャンプさせましたか?子供たちも元気にしていてください。
 あなたに忠実なショパンより」
 ロゼール嬢もパリに戻っていた。
ショパンの作曲の原稿の写しをまだ手伝っているのか、ロゼール嬢はショパンに献身的だった。
ボリーがサンドの指示で再度ショパンを訪ねて来たがショパンはいなかったのか、使用人のピエールにボリーは大事な話(パリをまだ出発しない)を言付けたのであった。
サンドはマルキの他にも小さな犬を飼っていた。マルキの他は純血種の大型犬のジャックも1年前の夏にはいた。マルキもジャックもショパンに懐いていた犬だ。ディプはサンドのコマンドの指示によく従うサンドのお気に入りの犬なのであろう。
2人の間が和む共通の話題は犬のことくらいしかもはやない。
「親愛なる子供たちへの愛。
私は元気ですが、しばらくの間、暖炉のそばを離れることはありません。」
パリの冬はまだまだ長かった。ショパンは
暖炉のそばでサンドからの指示を待ち、サンドの身の回りの物などをノアンへ送っていた。
ショパンの身の回りの世話係りはロゼール嬢と使用人ピエールだ、今は使用人を何人もは雇えないショパンだった。

【〜余談になりますが、ここで、ちょっとプードルの歴史に関するお話〜】
サンドの小型犬ディプはジャンプが得意ということは、トイプードルだったかもしれませんね。賢いマルキはマルチーズだったかもしれませんが、ディプはトイプードルのイメージです。19世紀後半のショパンの頃、トイプードルは既にいたようです。
それを裏付けるお話は、色々ありますが、
既に15世紀の頃、ドイツの画家、アルブレヒト・デューラーの版画にトイプードル犬が描かれていました。その後は、
17世紀にフランス上流階級の間で流行したのがトイプードルでした。18世紀には画家ゴヤの絵画にトイプードルが描かれているのは有名です。そして、イギリスの上流階級の間でも人気の犬になりまた。その経緯は、
1812年7月22日、スペイン西部で起きたイギリス軍とフランス軍の戦い「サラマンカの戦い 」でした。
サンチョという名のトイプードルはもともとフランス軍の将校に飼われていました。
このフランス軍の将校はサラマンカの戦いで戦死しました。その後は英国軍のヘンリー・サマーセット中尉がサンチョを保護しました。名門貴族のサマーセット中尉 はサンチョを連れて英国に戻りました。
若き侯爵に連れられたサンチョはロンドンの社交界で「忠誠心の象徴」として人気者になりました。絵画は1817年、ロンドンのハイドパークを散歩するサンチョと第7代ビューフォート公爵となったサマーセット卿の姿です。
トイプードルのサンチョの肖像画より
1817年頃

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです  

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