ホテルランベール館のチャリティーコンサートから1週間と6日経っていた。
ショパンはグシマーワが怪しいことは分かっていながらもグシマーワとの友情を捨てて生きることはできなかった。
「親友グシマーワへ、
あなたは今晩8時くらいには必ず私のところへ来てください。
家族以外には、アラゴとドラクロワしかいません。
フランショームと二重奏をしますから。」
ショパンはフランショームのために書いたチェロソナタがまだ出版されていない。
ショパンとしては既に完成していたのだか、
フランショームのために何度も書き直しをしていた。
グシマーワはポーランドに居た頃からショパンの演奏の評論を書いて来た経緯があった。
そのグシマーワにショパンはチェロソナタを聴いてほしいのだ。
アラゴとドラクロワも変わらずショパンと親交を深めていた。
家族とはサンド一家のことだ。
サンド一家は娘ソランジュの結婚話のことで一家でノアンからパリに来ていた。
ショパンはグシマーワが自分のアパルトマンに来てくれるように続けて説得した。
「親愛なる友よ、
君はただ来なければならない、たとえほんの少しの間でも。今日は灰の水曜日です。
あなたは罰として来てください。
惨めなカーニバルの時間を過ごしたからです。」
灰の水曜日とはカトリック教会の行事で「悔い改めて福音を信じなさい」と司祭が一人ひとりの額に灰を付ける日のことだ。
カトリック教会のカーニバルは謝肉祭といわれ、四旬節の前に行われているのだが、ショパンは別のホテルランベールでのカーニバル
に忙しかったため、灰の水曜日の教会へ行けなかったのだ。
ショパンはホテルランベール館のチャリティーコンサートで仮装をして演奏させられたことが惨めだった。
そのうえ、出演料は無くても演奏したショパン、恐らくショパンから断ったのである。それはグシマーワの怪しいお金の流れを止めさせたい意味もあったに違いないが、ショパンには他にも訳があった。
(僕はこの間は君に協力した、その私に惨めな時間を過ごさせた君は罰として、
今度は僕の頼みを聞いてくれる番だ)ショパンはそう言いたかったに違いない。自分の芸術を貫くためには親友と言えども駆け引きをするのがショパンなのだ。
チェロソナタの出版の後押しを頼めるのはグシマーワしかいないからだ。
フォンタナがニューヨークへ行ってしまって以来、グシマーワに出版のことを手伝ってもらって来たショパン。。
ショパンは肝心な事を頼める相手はもはやグシマーワしかいない状態になって来ていた。
サンドが「ショパンの最後の友人はグシマーワにしましょう」とマルリアニ夫人と
話していたのは数年前のことだ…。
そして、この時、サンド一家がパリに来ていたのにはいつもと違う理由があった。
サンド一家は4か月程前の46年10月に家族に宛てた書簡で書いていたように、
サンドの娘ソランジュは良家の若い田舎の紳士であるフェルナンド・デ・プルラックスと
の結婚話があった。
娘と折り合いが悪かったサンドが年頃になったソランジュを早く片付けたいがために探して来た縁談だった。
サンド一家はソランジュの結婚の手続きのためにパリに来たていたのだが、
ソランジュは突然気が変わって、結婚契約に署名することを拒否したのだった。
ソランジュは母親サンドの思い通りになりたくなかったのではなかろうか。
ソランジュはショパンを慕っていた、サンドに話せない気持ちもショパンには話していたソランジュ…。それをサンドは快く思っていなかった。この縁談が破断になったことも
恐らくショパンの意見が入っていたのかもしれない。
この後、ソランジュの結婚を巡り、サンドとショパンの仲は一層冷えて行くのであった。
Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景
Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです
0コメント