F.Chopin、ショパン、サンドとの最後の再会、サンドとショパンの真意とは…

ショッセダンタン通りとショパン、イメージ
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サンドは待っていたのだ…。マルリアニ夫人からショパンが来る日を聞き出したのか、
ショパンになぜ今さら会いに来たのか、やはり偶然ではない…何が目的なのか…
ショパンはソランジュにサンドどマルリアニ夫人の住むアパルトマンの庭で偶然ばったり会ったことを伝えた。
「昨日、マリアニ夫人に会いに行って、扉から出てきたところで庭のドアの前で、あなたのお母様(サンド)に偶然会いました。
彼女はランベールと一緒に庭の扉から入ってきたところでした。
私は彼女に『こんにちは』と言い、次の言葉として、最近あなたから連絡があったかどうかを尋ねました。
『1週間前 』と彼女は答えました。
『一昨日は何もありませんでしたか?』
『いいえ』 
『それでは、あなたがおばあちゃんになったことをお知らせします。
ソランジュに小さな女の子が生まれました。
私からあなたに最初にお知らせすることができて、とても嬉しいです』
私は帽子を上げて
階段を下りると アビシニアン人(コンプはエチオピアから来た、アビシニア人とヨーロッパで呼ばれていた)のコンブ(彼はモロッコからやってきて、そのまま革命に参加したのです。)私はコンプと一緒でした。
私は、あなたが元気であることを言うのを忘れていましたが、とても重要な事を彼女に指摘しました。
特に母親にとっては非常に重要なことなので(今ならすぐに理解できるでしょう、あなたはお母さんソランジュになられたのですから)私はコンブに二階に戻って、あなたと子供が元気にしていると彼女(サンド)に言ってくれるように頼みました。
私はあの階段を再び自分で登ることはできないからです。
下でアビシニアン(コンプ)を待っていると、あなたのお母さんが彼と一緒に降りてきて、あなたの健康状態についてとても興味を示して私に聞いてきました。
私は、あなたのお子さんが生まれた次の日に、あなた自身が私にメモを書いて送ってくれたと答えました。
あなたは大変な苦しみを味わったが、赤ん坊の女の子を見るとすべてを忘れてしまうのだと彼女(サンド)に伝えました。
彼女は、あなたの
旦那さんは一緒ですかと聞かれたので、手紙の宛名が旦那さんの字のようでしたと伝えました。
彼女は私の健康状態を尋ねましたが、私は元気だと答えました。
そして、管理人を呼んでドアを開けてもらいました。私は帽子を掲げて
アビシニアン(コンプ)を連れてオルレアン広場まで歩いて帰りました。」
ショパンは、ソランジュにサンドと会った一部始終を伝えた。
ショパンは事の成り行きをいつも正確に目に浮かぶように何に関しても誰に対しても話して来た、
ショパンはそういう人だ。この場面のことをサンドは後に全く誤った話しにすり替えてしまうのだ、サンドの妄想癖はショパンを始終苦しめた。ショパンはこの時、エチオピアから来たコンプがサンドの活動に巻き込まれて救われない道を辿るのが見えたのだ、ショパンはそれを助けることは出来ないポーランド人だからなのだ。10年目にしてサンドという悪魔と付き合って来たことがポーランド人の自分にとって何にもならなかった、間違った選択をした自分を悔やんでも悔やみきれない感情に押しつぶされそうなショパンだった。
コンプはこの時のショパンの様子を「彼はとても悲しく、とても落ち込んで家に帰った」と書いていた。コンプはこの数ヶ月後に亡くなるのだ…、ショパンにはそれが見えていた。だから、またサンドの犠牲者が増えてしまうことがショパンは心の底から悲しかったのだ。
ソランジュには、事実を淡々と伝えるショパンは、
続けて書いた。
「ボカージュ(友人の俳優)がグシマーワに語ったところによると、
あなたのお母さんは数日前からここに来ているそうです。」
マルリアニ夫人はオルレアンから9区のショッセダンタン通りのゴドーテン街に移り住んでいた。ショパンはそこへマルリアニ夫人を訪ねていた。そこでサンドと中庭で会った、アパルトマンの建物の門番に鍵を開けてもらわなければ建物からは出れらないのだ。それはパリではよくある場面なのだ。
その隣りの8区にサンドは息子のモーリスとパリにいる間は滞在していた。
「彼女はモーリスと一緒に
リュクサンブール近くのコンデ通り8番地にモーリスと滞在しています。彼女が食事をするのはポンソンズというレストランです。そこはかつてドラクロアと私が一緒に行ったレストランです。彼女は
そこで友人たちを迎え、コンブにも会いに来るように言いました。」
マルリアニ夫人の住む9区のショッセダンタン通りのゴドーテン街はかつてショパンがパリに来て間もない頃、小さなアパルトマンから
華やかなショッセダンタン通りの広いアパルトマンに移り住んだ場所だった、ショパンはその近くにあるカフェレストランに通ってピアノを弾いていた。そして、
マレ地区のポンソンズのレストランもショパンがかつて、親友ドラクロアと一緒に食事をした場所であった…。サンドが通うようになったということはショパンは出入りがもう出来ないのである…。
サンドとショパン、ショパンとサンド、
マルリアニ夫人のアパルトマンの中庭で、
何を話したのか、サンドはショパンに話されては困ることをショパンに口止めしに来たのだ。別れてからわざわざ会いにサンドが来るというのはろくなことではないのだ。
「もうすぐ彼女(サンド)はノアンに出発すると言っていました。おそらく、
あなた(ソランジュ)からの手紙がノアンで彼女(サンド)を待っていると思います。彼女はとても元気そうでした。
共和主義の勝利を喜んでいるようです。
昨日私が彼女に伝えたニュースは、彼女の喜びをさらに高めたことでしょう。
 三人とも、充分に気をつけてください。
 献身的に。ショパン」
サンドはショパンとは正反対に元気なのだ、
そしてサンドに孫が生まれたことはサンドは素直に喜ぶことはなかった。ショパンは、
ソランジュと父親のデュドヴァンとソランジェの3人に、サンドは自分の情夫たちが
権力を握っていい気分になっているから、
用心、用心、と伝えて書簡を終えた…。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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