F.Chopin、『予告編』フレデリック、ワルシャワの家族からの送金で亡命するはずが…スコットランドの果てで…家族への愛 

ショパンはスコットランドのカルダーハウスに来ていた。スターリング姉妹の招きだ。
そこは王宮よりも素晴らしいお城と自然と恵まれた食材があった。しかし、そこで繰り広げられる貴族の馬鹿騒ぎの喧騒とショパンにとっては口に合わない料理の連続で、ショパンは自分の心から発する作曲に打ち込むことが出来なかった。
ショパンはスコットランドには行かずロンドンにそのまま居れば、フォンタナに会えたはずであった。
会えなかった原因は、スターリング嬢はフランショームの弟子なのだ。ショパンの弟子のロゼール嬢はフォンタナの女でもあった。
要するに皆んなの女であったロゼール嬢…
ショパンはロゼールを娼婦と呼び嫌っていたが、自分の身の回りの世話をする使用人が居なくなってからは仕方がなくロゼールと仲良くしていた。
ロゼールはおしゃべりだ、ロゼールはショパンの秘密をフォンタナとフランショームに話し、フランショームがフォンタナの先回りをして、
スターリング嬢に連絡し、スターリング嬢がショパンをロンドンから人里離れたスコットランドへ連れて行った…という具合なのだ。
フォンタナは一足遅れてロンドン到着、ショパンを助けるチャンスを逃した。
ショパンはロンドンに来ていたフォンタナに
会えなかったことを書簡でフォンタナを慰めた。(ショパンからフォンタナへの現存している書簡はこれが最後であった。)
亡命を半ば諦めたショパンはワルシャワの家族へはフォンタナへ手紙を書く前に書き始めていた。
(ショパンはその後も家族へ
書簡を書いているが現存せず、
ショパンから家族へ宛てた書簡は
これが最後である)
ショパンは10日間かけてロンドンに来たときからの状況を家族へ宛てて書いた。
それはロンドンで受け取っていたワルシャワの家族からの書簡の返事であった。(現存せず)
「一週間以上前にロンドンに届いたあなたからの激励のお手紙をありがとうございました。
私はロンドンで3ヶ月を過ごし、かなり良い健康状態でした。」
ショパンは家族へ心配かけないように健康だと嘘を書いた。
「私は2つの昼公演を行いました。1つはサルトリス夫人のところで、もう1つはファルマス卿のサロンで、どちらも大成功でしたが、派手な宣伝もしませんでした。」
ショパンはファルマス卿のサロンでは厳しい規則に従わねばならず、自由な社交が出来なかったことが不足だったのだが、それは家族には伝えなかった。
それは何故か、ショパンはワルシャワの家族から書簡だけではなく、お金を送ってもらっていたからだ。
それ以上の心配をかけたくなかったフレデリックであった。…。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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