フレデリック・ショパン、リンド嬢は決して美人ではないが2幕からは美人に見えたショパンとは…ショパンとリンドの関係は?

リンド嬢1850年ダゲレオタイプ写真からと
ショパン1848年ダゲレオタイプ写真からの
♬イメージ♬
(ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールにより1839年8月19日にフランス学士院で発表された世界初の実用的写真撮影法)
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オペラ歌手のリンドは実は昔はメンデルスゾーンの女であったことを忘れてはならない。確証はないのだが、彼女はメンデルスゾーンのお気に入りであったことは確かだ。金持ちの御曹司であるメンデルスゾーンのコネクションでデビューしたようなものだった。彼女の生まれは複雑で彼女の父親は会計士だったかもしれない…ことになっているがはっきりとは不明ななのだ。彼女は非嫡出子であったとも言われていた。リンドはメンデルスゾーンに会ってから一躍有名になったのだ。
その彼女はメンデルスゾーンが亡き後、メンデルスゾーンの天敵だったはずのショパンをリンドはロンドンに来たばかりのショパンに急接近してきたのだ。
彼女は声を使い果たし歌えなくなっていたのだが、オペラに詳しいショパンがリンドを助けたのだ。パトロンを次々乗り換えアメリカからロンドンに来てからも舞台で成功したリンドだった。
その有名人リンド嬢がショパンの演奏会に来て歌を歌いショパンの演奏会に花を添えてくれたのだ。
ショパンはワルシャワの家族へ伝えた。「リン嬢が私のコンサートに来てくれました!」
それもそのはず、リンド嬢はショパンに恩があるからなのだ。
ショパンはリンド嬢のことを更に話した。
「それは一部の人にとって非常に重要なようです。
なぜなら彼女はどこに現れても愚かな彼ら全員のロルネット(ハンドル付き眼鏡)が
彼女に向けられるからです。
しかし、彼女が決してオペラの大舞台以外では歌わないとグロート夫人が私に言いました。しかし、彼女は私のために歌いました。」ショパン以上にロンドンで有名人だったリンド嬢がショパンの演奏会に来て
歌ったのは一部のリンド嬢のマニアックなファンにとっては一大ニュースだった。
しかしながら、リンドがショパンの演奏会で歌ったのには訳があるからなのだ、誰も気付きもしないのだ…。
 「彼女は良い人だし、私たちは仲が良いのです。」
ショパンは女性の話しを聞いてあげるのが天才的に上手いのだ、ショパンはリンド嬢の秘密をいろいろと知っているのだ。
そして、歌手ヴィアルド夫人とリンド嬢を比較するショパンは、歌手ヴィアルド夫人が
南方系ならばリンドは「北欧系」であるとうまい具合に評した。
そして、リンドは舞台に立つ姿についてショパンは…「リンド嬢は決して美人ではありませんが魅力的です。彼女の歌い方は自己流です。私は舞台での彼女はいつも好きではないのですが、オペラ『夢遊病の女』の2幕の途中からは彼女は完全に美しくなっています。」そう語ったショパンだ。
なぜか、リンドは2幕の途中からは
まるで別人にショパンには見えたのだ…。
女優として、歌手として、まったくすべての面でリンドは別人のように完璧になって見えたとショパンは言うのだ…。
それから、「マリブランはこの役をリンド嬢以上に解釈できたかどうか疑問です。
彼女は他のパートはあまり得意ではありませんが、彼女はスウェーデンの歌を繊細に歌いました。ヴィアルド婦人がスペインの歌を歌うときのように、リンド嬢はとても楽しく歌ってくれました。」
リンド嬢は声がでなくなっていたはずなのだが、ヴィアルド婦人がリンド嬢に繊細に歌う方法を教えたのであった。そうすることを
助言したのはショパンであった。
そしてショパンは、リンドの秘密を話した。
「彼女はグローテ夫人の弟と結婚すると言われているが、それは違う。
私は彼女がそうでないことを確信しています。(リンド嬢は密かに結婚しているとさえ言われています。
彼女にはスウェーデンで待っている婚約者がいることを話は知っています)」
ショパンはリンド嬢の秘密を知っていた。
リンド嬢は本当は結婚していたのであった。
彼女はグローテ夫人の助言に従って、パトロンが付くための人気取りのために結婚していないことにして活動していたのであった。
ショパンはリンド嬢が隠していることを批判は出来ないのだ、なぜなら、ショパンも実はポーランドに婚約者がいたからだ。ショパンの本命婚約者のコンスタンツァアは歌手だった。
ショパンは実は結婚してコンスタンツァアと暮らしていたことがあるのだ。
コンスタンツァアは11月蜂起後、ショパンがポーランドに帰って来れないと諦めたのかは不明だが、彼女はショパンがパリでパトロンが付いたことを知り親が決めた人と結婚したのだった。
オペラへのショパンの憧れの原点は、コンスタンツァアへの清楚な歌声への憧れからであった。
ショパンはロンドンに来て以来、リンド嬢との関係は持ちつ持たれつであった。リンド嬢のことはショパンは悪くは言えないのであった…。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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