フレデリック・ショパン、フレデリックはルドヴィカと再会し最後の幸せな時間を過ごす、サンドはフレデリックを見舞ったのか…サンドの懺悔とは…フレデリックへの最後のラブレター

ショパンとサンド🎶イメージ🎶
「姉は夫と姪と一緒に、5日間、私のところに来ています。私はとても疲れていますし、彼らも同じです。私は今、あなたに同じくらい幸せであってほしいと思っています。
私は今までになく弱っています。
 あなたの誠実な友人より」
姉ルドヴィカと夫カラサンテ(カラサンティ・イェドルゼイェヴィチ)とその子供の女の子(長女ならば14歳になっていた)の3人がショパンの居るシャイヨ城に
ようやく来てくれたことをグシマーワに
幸せだが疲れていると報告した。
そして、サンドにショパンを見舞うよう、最後の警告をした、あのベーゼン夫人に「よろしく伝えてください、」とグシマーワに書き添えたショパンだった。ベーゼン夫人もグシマーワと友人なのだ。グシマーワからサンドに警告してくれたことをショパンは聞いたようだった。
 ルドヴィカもショパンのグシマーワへの書簡に一筆そえた。
「この書簡をポストに投函する時間です。
私は今 、愛しのフレデリックと一緒です 。
彼はとても元気です。
 私は、あなたを抱きしめてあげられなくて ごめんなさい 。
もし列車が夜中に通過しなければ、私は喜んでショーフォンテーヌ(ベルギー)に立ち寄ろうと考えておりました、あなたにお会いできましたら、どんなに嬉しかった ことでしょう。ですから、計画が頓挫してしまい、私がどれほど残念だったかは、言うまでもありません。. . .」なんとグシマーワは、ポトツカ夫人がショパンに誘っていたベルギーのショーフォンテーヌ(凡そ直線で358km、凡そ直線で東京から京都程の距離)に居たのだ。
ルドヴィカが来てくれて、気分が良くなっていたフレデリックは、外へ出てみたくなり、
散歩をして顔は日焼けしていた。疲れてはいたがフレデリックは元気になろうとしていたのだ。
そして、20年ぶりに、ショパンの親しい友人であり、若き日の大親友のティトゥスが、ついに西ヨーロッパを訪れることができた。ティトゥスはチェコのカールスパートに来ていた。
「君がオステンド(ベルギー)に到着する頃、私はパリを離れられないのだ。
しかし、私は、神があなたが私のところに来るのを許してくれることを望んでいるのだ。
私のところにどうか来てください。医師は私にどんな旅も許してはくれません。
あなたが来てくれれば、どんな薬よりも効果があるでしょう。死ぬまであなたのフレデリック」ショパンはティトゥスが来てくれることを待ち望んでいた。
ショパンの一番の親友ティトゥスは来てくれるのか…。姉ルドヴィカが来てくれてたのは8月9日だった。ショパンは自分が好きな人と再会出来れば元気を取り戻せると信じていた。
それから、まだ見舞いに来ないのは…見舞いに来れないサンドがいた…。
サンドはベーゼン夫人とショパンのことで連絡を取り合っていた。
ショパンがサンドの気持ちをベーゼン夫人からグシマーワ経由で聞いていたかは不明だ。
サンドはショパンに対して、1ミリたりとも本当に情というものが残っていなかったとしたら、本当にそれは恐るべき狂人に決定なのだが…
ベーゼン夫人にサンドは書いた。
「私たちが話し合った友人の姉が
彼と一緒です。」
ショパンの書簡からグシマーワへ、そして、ベーゼン夫人からサンドへと話しは伝わっていた。サンドはショパンを友人と呼んだ。
「彼の姉は天使であり、彼は彼女を愛している。」
ショパンの名前を書かないサンドだ、しかしながら、世間からは悪く言われたくないサンドは、ショパンの姉ルドヴィカは天使であり、ショパンはルドヴィカを愛しいると、病床のフレデリックを世話するルドヴィカのことを賛美したサンドだ。
毎度、嘘つきなサンドだったが、このルドヴィカのことに関しては、
ルドヴィカは本当に優れた人であったのだ、サンドは欲が深いから、まさか、まだルドヴィカからお金を…確かにフレデリックもルドヴィカを一番頼りにしてきたことは間違えないが、…。
そして、「今、私があなたから忠告されましたようにようにやる機会が訪れました。」
驚いたことにサンドはこの時は、フレデリックを見舞う気になって来ていた。
「自分の状態に対する患者の恐れを呼び起こすことなく、ルドヴィカに彼の健康状態を尋ねてから、私は彼女の弟に愛情深い記憶を残してあげられると思います」
フレデリックを見舞い優しい言葉をかけることをベーゼン夫人に誓ったサンドだった。
そして、
「自分が苦しんで考えれば考えるほど、彼は私を覚えておきたいと思っていることが信じがたいものになります。」サンドはショパンに恨まれて当然のことをショパンにしてきた。だから、ショパンが自分に会いたいと思っているわけがないことは分かっていた。
「ルドヴィカがどうするか判断なさるでしょう。」たとえサンドがショパンに会いに行ってもルドヴィカがショパンに会わせなければサンドはショパンに面会できないと、サンドは予想がついた。
「私の手紙のことを彼に話すか、黙っているか、そして、ロゼール嬢は
病人の前で私の手紙をルドヴィカに渡さないように親切でなければなりません。
何人かの友人は彼がはるかに良くなっていると書いていますが、見る人によっては、
他の状況で異なった意見なので、
私は何を考えるべきかわからないのです。
このような短い手紙を許してください、でも私はとても疲れています。書き続けることはできません。私たちの地区は深刻なコレラに見舞われているのです。
そして、私は一瞬の休息がありません。他の人が苦しんで死ぬのを見るのはとても悲しいです。」
サンドにも心はあった、ノアンで人々の苦しみを見て、ショパンへ会いに行かなかったら
後悔するのではないかと気持ちが傾いていた。
「しかし、私が彼の命を救うことに成功すれば、私は力を得ることができます。私は頑張ります。
あなたへ私の心からの敬意を送ります。
ご親切な書簡をありがとうございました」
サンドはベーゼン夫人にフレデリックを見舞い自分が優しい言葉をフレデリックにかけることで、フレデリックの命が助かるのなら、私はベストを尽くすと誓ったのだ。そして、
ベーゼン夫人宛ての書簡にルドヴィカへ宛てた書簡を同封したサンドであった。
「あなた(ルドヴィカ)がパリにいることを今知りました......今まで私は知りませんでした。ついに
フライデリックの様子が私は分かりました 。」
ここから、初めてサンドは、ショパンのことを友人とか彼とは書かずに
[フレデリック…]と書いた。
「ある人は"いつもより悪い "と言う人もいれば "弱々しい "と言う人もいる
"いつも通りだ "と言う人もいる のです。
私はあえて、あなたに お願いします、
私は子供たちに誤解され見捨てられたとしても、私は自分の子供を愛してやまないからです。あなたのことも私に教えてください。」
今までショパンの容態がそれほど悪いことを知らなかったことを詫びるサンド、
そして、ルドヴィカに子供たちがいるように、自分も自分の子供が可愛いのだと、書いたサンドだ。サンドはモーリスを溺愛していた。世間からは間違いだらけの母親だと非難されてきたサンドだが、
それでも自分の子供だけは可愛い、だから、
至らぬ母親だが許してほしいと、書いたサンドだ。これは、何を隠そう、実は、ルドヴィカに書いたのではなく、ショパンに自分の子供を選んだ私(サンド)を許してほしい、とサンドは伝えたかったのだ…。
そして、サンドは書いた…
「あなたを初めて知ったときから、一日たりともあなたのことを考えずにはいられなかったことは本心です。
あなたのことを考え、あなたの記憶を大切にしなかった日は一日もありません。
他の人があなたの心に残っている私の思い出を台無しにしたのでしょう。
私は、自分が受けた苦しみのすべてが報われたとは思っていません。
心の底からあなたに感謝します。
ジョルジュ」
…あなたを初めて知ったときから…、サンドは、こう書き始め、…あなたの心に残っている私の思い出を他人が台無しにした…と、
ショパンに訴えかけた。
これがショパンへのサンドの最後の懺悔だった。
そして、自分も子供とショパンの間で、
どちらを取るかを苦しんだが、自分の過ちによる苦しみから来る自責の念は、自分は
報われることがないことを覚悟しているのだ
という意味なのだ。
サンドのこの書簡が本当に本心から書いたものだとしたなら、サンドは遅すぎたのだ、周りから警告されてから反省の意をベーゼン夫人を通して、ルドヴィカ宛てでフレデリックへの本心を明かしたサンドだったが、時すでに遅し …とは、この事だった、
まるで、嘘つきの羊飼いの少年のように、誰もサンドを信用しなくなっていた。
このサンドの書簡にベーゼン夫人やルドヴィカから返事が来ることはなかった。
それとも、真実は残されていないが、本当は
ルドヴィカは返事を書いたのか、ショパンはサンドに会いたくないと言ったのか、
それとも、サンドはショパンを本当は見舞ったのかもしれない…。しかし、世間の人々からは、サンドはショパンを見舞わなかったショパンを見捨てた薄情な女と語り継がれて行くこととなった…。
そして、姉ルドヴィカが来てから22日が経った、8月30日(木)クルーヴェイエ、ルイ、ブラッシュの3人の医師によるショパンの最終的な診察が行われたが結論は悲観的であったと、ショパン自ら日記に書き記した。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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