フレデリック・ショパン、親友ティトゥスはパリに来てほしいが、フランショームはパリに来ないでくれたまえ、ショパン。最後の引越し先は…

上、ショパンの親友ティトゥス
下、フランショーム晩年写真から
そして、ショパン。🎶イメージ🎶
気になっていたティトゥスとの再会、その後ショパンはティトゥスに書簡を書いてから22日経っていた。
「私は、あなたの渡航許可を得るのに、十分な時間がなかったのです。
国境はロシア人対象には閉鎖されていました。私は一日の半分をベッドで過ごさなければならないので、有力な友人に頼みました。しかし、私は土曜日まで確実なことを知ることはできないのです。
私はヴァランシエンヌ行きの列車で出発したかったのです。」ショパンはパリを離れることを諦めていなかった。ヴァランシエンヌはフランスの北部だ、そこから、ベルギーへショパンは行こうとしていた。
「しかし、数日前、私はヴェルサイユの近くにあるヴィル・ダヴレの名付けの娘に会い行くことすらできませんでした。」
ショパンは試しに身体を慣らすために出かけてみようとしたが断念した。
「医者もパリを離れることを許してくれません。冬の間、暖かい地方に行くことさえ許されないのです。
そうでなければ、ベルギーのどこかにいるあなたのところに行きたいのだ。
あなたはもしかしたら、ここに来ることに成功するかもしれません。私はわがままな人間ではありませんから。
 私が病気であるために、あなたは数時間の退屈と失望と楽しかった思い出が入り混じる気持ちを味わうだけでしょう。
しかし、私は、私たちが一緒に過ごす時間を、完全で完璧な幸福なものにしたいのです。永遠に君のものだ。フレデリック」
ショパンは、どうしてもベルギーに行きたかったのだ、しかし、それは叶いそうにない。
ティトゥスがパリまでショパンに会いに来てくれるのなら幸せな時間を一緒に過ごしたいと、ショパンは思っていた。
この、ショパンの書簡へのティトゥスからのショパンへの返事は不明だ。ティトゥスはパリに来ることが出来なかったのか、間に合わなかったのか、古い親友ティトゥスにも、
ショパンは会えたら、何か託したいことがあったのだ。
それから、ショパンの親友のフランショームだ、彼はショパンにお金を貸したこともあったが、ショパンはフランショームにそれ以上に家族で支援し尽くしてきた。
しかし、フランショームはショパンには職を与えなかった。ショパンは家庭も仕事もうまくやっているフランショームを恨んでいた日もあった。しかし、フランショーもいいことばかりではなく苦難は降り注いでいた。
ショパンはフランショームに書いた…
「ル・マンであなたが我慢しなければならなかったことを聞いて、とても悲しく思っています。」ル・マン(フランス西部)でフランショームは何があったか、ショパンへの返事は現在せず不明だが、演奏会が開催できなかったのかもしれない、それとも家族に何かあったのか。
「いずれにせよ、あなたは今、天候に恵まれたトゥーレーヌ地方にいるのです。
私は良くなるどころか、むしろ悪くなっています。クルーヴェイエ、ルイ、ブラッシュの3人の医師は、私は今は旅に出ない方がいいと言います。
私は南向きの部屋を探して、パリに滞在することにしました。」
フランショームも結局のところ故郷に帰っていた。ショパンにはパリに残る道しか残されていなかった。
「何度も問い合わせた結果、非常に高価ではあるが、必要な条件をすべて満たした
アパルトマンを見つけることができた。
ヴァンドーム広場12番地に、非常に高価だが、必要な条件をすべて満たしているのだ。
そこはアルブレヒトの事務所があるところだ。メアラ博士はこのアパルトマンを探してくれました。」
ショパンはシャイヨ城を出て、オルレアンには戻らずに、新しい場所を見つけたと、フランショームに話した。それは…ヴァンドーム広場12番地だ。ショパンの親友で外交官のアルブレヒトが居る近くを選んだショパンだった。…「いずれにせよ、私は来年の冬に皆さんにお会いして、きれいな部屋に落ち着くことにします。私の姉は急用がない限り、私のところに滞在します。
私はあなたを愛しています。
もうこれ以上は言えません。私は衰弱しているので。
姉はフランショーム夫人に会うのを楽しみにしています。私もそうです。
心からそう思います。神のご意思のままに。
 追伸、
フォレスト夫妻に心からのご挨拶を。
数日でもご一緒できればと思います ラウベルジュさんは?
海辺にいますか?ラセルヴ夫人によろしくお伝えください。子供たちにキスを送ります。
手紙をください。いつまでもお元気で。
姉がフランショーム夫人によろしくと言っています。」
 フランショームに新しいアパルトマンは申し分ない綺麗な部屋だと伝えたショパン、
来年の冬にはフランショームさんの家族にも会えるのでは、と、ショパンは、フランショームにそれまでパリに出てこないように伝えた。
フランショームにはベルギーへ自分は行こうと思っていることは書かなかったショパンだった。


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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです