私の教科書とショパン

私は○○○といつまでも言われる。皆と話が合わない。

だからうわべだけの友達が出来ても友情がない。

転校生の私は「よそもの」と呼ばれるときもある。
皆は小さなときから気心が知れた仲間で共通の思い出話を
いつもしている。
そこへ私の別の話をしても受け入れてはくれない。だから黙っているしかないのだ。
それは、国語の授業があった日のことだ。私の発音は標準語である。

しかし、それが違うと国語の朗読の時、何度も何度も繰り返しクラスの全員で声をそろえて

はやし立てられた。それをB先生は止めさせるどころか、生徒達と一緒になってしつこく私を責めた。

私は同じ単語を何回も何回も言うよう強要された。私は起立したまま両手に持つ国語の教科書にとうとう涙が落ちた。
すると、もういいだろうという空気が漂い、終業のチャイムが鳴り授業は終わった。
その後、学年も変わり先生が変わったが、私は国語の授業で無視されている。
A先生のお気に入りの生徒の朗読で授業は進められる。
私は、A先生のお気に入りの生徒の朗読を聞くのが苦痛だった。
私には間違って聞こえるからである。
今日も楽しいことはなかったな。そういうときは、
早く帰ってムジ(愛犬)の頭を撫でてあげよう。
ムジは私の友達だ。
ムジは賢くて私の気持ちを知っているのだ。
どこかへ行ってしまいたいなと毎日思っていた。
私にはピアノがある。

演奏しているときは音楽の景色や物語の中を歩いている。それを外へ向かって表現できる。

その瞬間のために私は生きる。

ショパンの音楽も孤独の中から生まれたのだから。

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです  

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