ミヒャエル広場の街

ホーフブルク宮殿の前に広がるミヒャエル広場は1221年のバーベンベルガー公爵レオポルド6世によって造られた。

周辺は18世紀、王室御用達の専門店街が集まっていた。

その歴史から、黄金のU字ルートと呼ばれる。(ケルントナー通り、シュテファン大聖堂、グ

ラーベン通り、コールマルクト通り、ホーフブルク王宮)

現在も高級ブランドや老舗カフェなどが集まるショッピング街となっている。

ショパンが滞在していた頃もウィーンで最も華やかな場所であったのであろう。

しかし、当時はガス灯すらまだなかった時代だ。(1838年秋にウィーンで最初に 宮殿の広場

に6つのガス灯が設置された)冬の夕方は暗く寂しく感じたかもしれない。街は馬車が走り、

馬のひづめの音が冬の寒い夜や雨の日には、より鳴り響いていたであろう。

ホーフブルク宮殿の傍にはウィーンで重要なブルク劇場も建っていた。その中に現在もなお

残る老舗カフェのデメルがあった。

デメルは菓子職人のルードヴィッヒ・デーンにより、1786年に王室が所有していたブルク劇

場の玄関の向かい側のミヒャエルプランツに王室御用達店として開業し事業を成功させた。

しかし、1887年皇帝フランツ・ジョセフによる城壁の建設工事に当たり、ブルク劇場とその

関連施設の建物は解体された。それに伴い、デメルはコールマルクト14に1888年10月9日 か

ら移転を余儀なくされた。

デメルのすぐ斜め向かい側にショパンが滞在した記念プレートの建物がある。

ショパンが聞いた街の喧騒や食べ物の味や香り、その当時の空気を想像し、時の移り変わりを感じ

ながらその歴史を想う。


1888年から侯爵夫人のロココ様式の調度品など王宮の流れを思わせるインテリアで店内は飾られている

ミハエルプラッツ  古いブルク劇場 

その内部、クリムトによる

0コメント

  • 1000 / 1000

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです