~パリの音色~ショパンの悟り

1831年11月18日パリ

無事にパリに入ったショパン。

ショパンには刺激的な大都市であったパリ。

パリは、最大に華麗で、最大に卑わい、最大の徳で、しかし、最大の悪徳であることを

いつもの鋭い観察眼で直ぐに悟ったショパンだった。

世界一の音楽家がいる。

ロッシーニ、ケルピー二、

パエールなどに会った。

思った以上にパリに長くいることになるとショパンは思った。

シュッツトガルトなど比べものにないならい、

パリはとてもいいところであるが悪であるところだ。

一歩歩くごとに性病の広告が目に入って来る、パリという大都会はショパンの想像を絶していた。(そんなショパンはサンドと関係をもっただろうか。作り話だろうか)

パリというところは、誰が何をしようと誰も尋ねることもなく、冬に浮浪者のような恰好で歩き回ってもかまわない、そのような人間でも最上流の社交界に出入りしているところである、自由の名の下で好き勝手に生活しているところであるとショパンは悟る。

多くの金額を投じて食事をしたかとおもうと、

あくる日は鳥の餌と思うものを食す、そのことは、高い勉強代を払ってわかるまで、ひどい目にショパンは遭わされた。

あのシェバルツバッハのことを想うとベルリンに帰ったクメルスキに

パリの刺激を共有したいとショパンは思った。

肝心の音楽のことは、ショパンはカルクブレンナーに会い、彼ほどピアノが弾ける人は他にいないと、カルクブレンナーに惚れ込んだショパンであった。

フリードリヒ・カルクブレンナー(1785年11月2-8日 - 1849年6月10日)

ドイツのユダヤ系ピアニスト・作曲家

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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