『88鍵の音色~ショパンが愛した風景~』~1810年のワルシャワとショパンのお正月~

≪1810年のワルシャワとショパン≫

ショパンは1810年の3月1日(または2月22日)に生まれました。

つまり、1810年のお正月は、母ユスティナのお腹の中にはショパンがいました。

1810年当時のポーランドは激動の時代でした。ナポレオンによって建国された「ワルシャワ公国」という束の間の独立を享受していた時期です。ポーランドの1810年当時のお正月、そしてショパンが生まれた頃の時代背景については、

当時の新年の様子を紐解いてみましょう。


ショパン家のような家庭では、ポーランド伝統の素朴な正月行事と、ナポレオン軍とともにやってきたフランス式の華やかな新年の習慣が混ざり合っていてフランス文化が融合していました。

そして、村々のユニークな風習

ショパンが幼少期を過ごした村々にはユニークな風習がありました。ジェラゾヴァ・ヴォラのような農村地帯では、より土着的な行事がありました。

例えば、わら(藁)の魔法といって、 果樹の周りにわらを巻き、悪魔から木を守って豊作を願う習慣がありました。

ショパンの音楽には、こうしたポーランドの伝統的なリズム(ポロネーズやマズルカ)が息づいていますが、それは彼が幼い頃に耳にした新年の村の素朴な伝統や、社交界の華やかな舞踏会の記憶から紡ぎ出されたものでした。


1810年、ポーランドという国は地図上には存在せず、ナポレオン・ボナパルトによって作られた**「ワルシャワ公国」**という名で呼ばれていました。

 当時のポーランド人にとって、ナポレオンは「祖国を復活させてくれる英雄」でした。そのため、1810年のお正月は、フランス風の華やかさと、独立への強い希望に満ちた祝祭ムードがあったと考えられ、正にショパンの誕生は新しい時代への希望の幕開けでもありました。

当時の貴族(シュラフタ)のお正月の風習については、

ショパンの父は家庭教師として貴族の屋敷に仕えていたため、ショパンも幼少期から貴族的な文化に触れていました。

 クーリグ(Kulig)と呼ばれる 雪の上を馬ソリで駆け抜ける伝統行事や、仮装した人々がソリを連ねて近隣の屋敷を次々と訪れ、音楽、ダンス、食事を楽しみました。

シルヴェステル(Sylwester)といって大晦日は、聖シルヴェステルの日にちなんで「シルヴェステル」と呼ばれます。シャンパン(当時も高級品でした)で乾杯し、真夜中にマズルカやポロネーズを踊るのが貴族流の祝い方でした。

 伝統料理は、12種類のおかずが並ぶ質素なクリスマス(ウィギリア)に対し、お正月やその後の「謝肉祭」の期間は、ビゴス(猟師風煮込み)や豪華な肉料理が振る舞われました。

ショパンも子供の頃にこのような風習に触れていたと考えられます。


今日はここまでです。

皆様も温かなお正月をお過ごしください。


それでは、またPianist由美子UNO『88鍵の音色~ショパンが愛した風景~』でお会いできるのを楽しみにしております。


Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです  

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