F.CHOPIN、酒と女と賭博の館から

ショパンはサンドのことも、サンドの娘の家庭教師ロゼールのことも女として見ていなかった。

ショパンにそう思われていることはサンドもロゼールも感じていたのであった。

ノアンでの田舎の生活は普段は人目がなく、ショパンとサンドとサンドの子供のふたりと、その家政婦であり家庭教師のロゼールとの暮らしは次第にそれぞれが互いに憎しみ会うようになって来ていた。

ことの発端は、フォンタナがアント二イにショパンの胸像を奪われた事件であるが、そこには、アント二イと関係のあるロゼールという厄介なおしゃべりな娼婦が絡んでいた。

ロゼールはショパンの弟子でショパンは最初はロゼールの本性を知らずにサンドの娘ソランジュの家庭教師にどうであろうと、サンドに紹介をしてしまったのだ。

ノアンに来てからのロゼールの振舞を目の当たりにしたショパンは、ロゼールが卑しい女であることに気が付いたのであった。

気づいたころには手遅れで、アント二イを手玉に取り、サンドにはおべっかを使い毎日のように取り入っていた。ショパンはロゼールの素行を見て、「あの売春婦め!」とロゼールを

軽蔑し嫌っていたのだ。ショパンがここまで言うからには根拠があったのだ。

つまりロゼールの男はアント二イだけが恋人ではなく、サンドの館に出入りする有名な芸術家の複数の男と関係を持っていたのであろう。そういえば、サンドの館には、リストの愛人ダグー・マリーのベットもあった。ダグー・マリーもリストの他にも男はたくさんいたのだ。

サンドは元々娼婦と言われていたためか、既に自分はもう老婆だと宣言したことがあった。サンドが売春宿の女将でロゼールは宿の売春婦といったところか。

サンドの館は売春宿のようでショパンは頭が痛くなるのだ。その餌食によりによってアント二イがなってしまったのだ。

ショパンはヴォジンスキ家のことは出来れば付き合いたくない相手なのだ、それでも、ポーランドの自分の家族のことを思うと、それは出来ないことであった。

アント二イに関しては面倒を見るように、ヴォジンスキ家との上下関係でショパンは

断れずに来ていた。

そのため、アント二イ自身にはショパンは厳しいことが言えないのだ。フォンナもその関係性を知っていたのであろう、アント二イがショパンの秘密を喋られたくなかったら、ショパンの胸像をよこせと取引を持ち掛けた可能性があるのだ。

そこにロゼールという女が便乗してショパの身辺を嗅ぎまわり、サンドと結託しだしたため、ショパンには最悪の事態なのであった。

しかし、しばらくしてロゼールに飽きたアント二イはロゼールとの関係が終わり、ショパンはそれが愉快であった。

そして、ショパンはその頃、賭け事をやっていた。(誰とやっていたか不明)恐らくは、出版でお金が入ったことに目をつけられて嵌められたのであろう。

その、賭けは50フラン(5万円)のストラスブール産の肝臓の練り肉。。。

その賭けにショパンは負けてしまったのだ。それで、フォンタナに50フランを送金するから大至急、パレ・ロワイヤルで30フランで肉を買ってきて、それをノアンに送るように

指示した。30フランでは肉が小さくてバレるかもしれないから、35か40フランまでなら出してもいいからと、フォンタナに指示した。細かい計算をしたショパン、フォンタナは

この馬鹿げた注文に従ったかは謎である。。。

サンドの館は「酒と女と賭博の館」になっていた。

サンドによるサンドの母親の似顔絵から

ソフィー・デラボルド(1773-1837)サンドの父親は軍人で、スペイン戦線で亡くなったときに、その確認のためにサンドとサンドの母親はスペインへ行った。その時に4歳のサンドに軍服を着せて将軍に取り入ったサンドの母親であった。サンドの母親はサンドの父親の上司である将軍の情婦だった。



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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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