~芸術家の肖像~テオドール・ジェリコー

テオドール・ジェリコー

(1791年9月 26 日ルーアン-1824年1月 26 日パリ)

画家、彫刻家、製図、リトグラフ 

ロマン主義のフランスの画家。

ジェリコーの作品は古典主義の神話画や宗教画と異なり、現実社会の描写に深い関心を示していると言われています。生と死をテーマにしたジェリコーの作品は人間存在の本質に迫る写実主義であり、ドラクロワのロマン主義、クールベの写実主義などの19世紀ヨーロッパの主要な絵画運動の先駆的存在と位置付けられてます。

ジェリコーは1791年にルーアンの裕福な家に生まれました。父親のジョルジュ・ニコラ・ジは、たばこ農園の所有者で、たばこの大商人で弁護士でした。

母親のルイーズ・ジャンヌ・マリー・カルエル・ド・サン・マルタンは、ノルマンディーの貴族の出身でした。ジェリコー家は1796年にパリに移住しました。1801年、ジュリコーは私立寄宿舎デュボワ=ロイソの寄宿学校に入りました。その後、彼の父親は彼をルネ・リチャード・カステルの寄宿舎に移しました。1804年、ジェリコーはリセ・ルイ・ル・グラン(中等教育と高等教育)に入学しました。母親の死後、父親がジュリコーを育てました。

フランドルやオランダの芸術家の作品の収集家だった叔父のジャン・バプティスト・カルエルとの親交によって少年の頃からジュリコーは絵画に興味を持ちました。

資産家で弁護士でもあったジェリコーの父親は、息子が画家以外の安定した仕事に就くことを望んでいましたが、絵画への情熱を捨てきれないジュリコーは、1808年、画家カルル・ヴェルネに弟子入りしました。

ジェリコーは古代の神話や聖書の物語よりも身の回りの現実を描くことに関心を示しました。特に馬に対する関心が深く、生涯にわたって馬を題材にした作品を多く残しました。師のヴェルネは馬や騎馬人物像の画家として第一人者であったが、ジェリコーはヴェルネの描く馬はきれいであるが、動物としての躍動感に欠けていることへ不満を感じていました。

ヴェルネのもとをジェリコーは去ることにし、1810年から1811年にかけて画家ピエール=ナルシス・ゲランに師事しました。ゲランはナポレオンの肖像画で有名な新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドの流れを汲む大家だったが、理想の高いジェリコーはこの師にも満足出来ず、その後は、ルーヴル美術館に通い、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、ピーテル・パウル・ルーベンスなどの作品から独自に学ぶ道を選びました。

1812年ジュリコーは「突撃する近衛猟騎兵士官」をサロンに出展し金賞を得ました。1814年には「戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官」を出展しました。ジェリコーが正式に出展した作品はこの2つの作品と「メデューズ号の筏」の3つでした。

ジェリコーは1816年から1817年にはイタリアに滞在し、ミケランジェロの作品から影響を受けました。そして、ジェリコーはローマにてカーニバルの裸馬の競走を題材にした作品を描きました。

パリへ戻ったジュリコーは、1819年サロン・ド・パリに「メデューズ号の筏」を出展しましたが、この作品は激しい論争の的となりました。これによりジェリコーはフランス絵画の初期ロマン派画家として知られるようになりました。

1820年から1822年にはイギリスに滞在し、1821年には代表作の一つ「エプソムの競馬」を描きました。駆ける馬の一瞬の姿を画面に描きとめたこの作品は、印象派のエドガー・ドガを先取りするものと評されています。1822年から1823年にかけてパリで精神障害者をモデルとした人物画連作を描きました。ジュリコーは、1823年には落馬や馬車の事故などが原因で持病の脊椎結核が悪化し、1824年1月に亡くなりました。

ドラクロアは、「メデューズ号の筏」の作品で漂流者の1人(筏の帆の真下でうつぶせになっている男)のモデルになりました。ドラクロワによるこの部分のスケッチも残されています。ドラクロワは、このジュリコーの作品に影響を受け、代表作の一つである「キオス島の虐殺」1824年に完成させました。(油絵354 x 419 cm  現在はパリのルーブル美術館の所蔵)

「メデューズ号の筏」は歴史絵画の古典的伝統に従っているが、主題の選択とその劇的演出において、当時一般的だった新古典主義派の平静と秩序からの脱却を意味していると評されています。ジェリコーの作品は、サロン・ド・パリの最初の出展の後はロンドンでも公開されました。ジェリコーが32歳で早逝した直後にルーブル美術館に買い取られました。

ウジェーヌ・ドラクロワ、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、ギュスターヴ・クールベ、エドゥアール・マネが影響を受けたと言われています。

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