~ショパンがウィーンの初めての演奏会の後で招待があったのは、自称伯爵夫人だった~

エドゥアルド・リクノフスキーの息子が建てた城1870年

リヒノフスキー家の紋章


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ショパンは1829年の夏、ウィーン旅行で演奏会を開いたとき、演奏会の後でシュヴァルツェンベルクのヨセフ2世の王子などの貴族たちから褒められました。

1回目の演奏会は成功したかのように見えました。そして、その後、伯爵夫人と名乗る

リヒノウスカ伯爵夫人ヨゼフィーネとその娘(1814年生まれ)から邸宅に招待されました。

その時のことをショパンは嬉しそうにワルシャワの家族に伝えていました。

「今日リヒノウスカ伯爵夫人と彼女の娘さんから、今日、僕はお茶に招待されました。

僕が来週2回目のコンサートを開くと夫人は聞いて非常に喜んでいます。

彼女は、僕がウィーンからパリに行くなら、忘れてはならないことを言いました。それは

リヒノウスカ伯爵の姉への手紙を僕から渡すように言付かったことです。…」

しかし、これはウィーンに初めてやって来た19歳のショパンは騙されていたということでした。リヒノウスカ伯爵夫人の名前はヨゼフィーネでリヒノウスカ伯爵の後妻という見解がありますが、後妻は記録に存在しません。その娘(1814年生まれ)もリヒノウスカ伯爵には同じ1814年生まれの息子が存在しているため、1814年生まれの娘の記録は存在していません。

つまり、これは伯爵夫人と名乗っていますが、それは自称で恐らくは愛人であった可能性があります。

リヒノウスカ伯爵の姉への手紙は紹介状といえば聞こえがいいですが、実はヨゼフィーネがショパンのパトロンになりたいがために、弱みを握っているリヒノウスカ伯爵への請求書のようなものだったという訳です。

因みに、リヒノウスカ伯爵の父親はベートーヴェンのパトロンでした。(つづく・・・)





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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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