F.CHOPIN、フレデリック、ノアン最後の想い

1846年いつもよりもノアンの滞在が長くなったフレデリックであった。10月中旬にワルシャワの家族へ宛てた書簡を書き終えたフレデリックは11月に入ってからサンド夫人をノアンに残してパリへ1人で帰ることにした。サンドはノアンの館に寒がりのフレデリックのためにという口実でセントラルヒーティングを設置する計画を息子モーリスと立てていた。しかし、サンド自身もひとりのノアン滞在が長くなることを予測し密かに計画していたとも考えられる。
サンドとフレデリックとの関係はサンドの娘ソランジュの結婚問題や養女オーギュスティーヌとモーリスのふしだらな関係に忠告し口出ししたフレデリックのことが、サンドの怒りを買い、フレデリックとサンドの関係はお互いの心に決定的な破局を招いていた。
フレデリックはルドビカに長い書簡の中で、スカルベックに来年ブリュセルで会いたいと伝えてほしいと結び、ノアンの暮らしには見切りをつけてポーランドへ自由に帰えれるようになる望みを持っていたのだ。 
実際、サンド夫人一家とのフレデリックのノアンの滞在はこの年1846年10月で終止符を打つこととなった。
フレデリックが心残りだったのはノアンに残してきたサンドのことより可愛がっていた犬のマルキのことであった。

フレデリック・ショパン
ショパンは右側からパトロンの貴族の御夫人方から演奏を見られることを意識して右側のもみあげだけを顎まで長く伸ばしていた。
もみあげを長く生やすのがおしゃれで流行していた。髪はブロンドで柔らかく少しくせ毛でブルーの瞳だった。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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