F.CHOPIN、パリのショパンからノアンのサンドへの冬の贈り物は。。。

時は1846年12月末のパリ、ショパンはパリのアパルトマンの暖炉の側で今日もまたノアンのサンドへ返事を書いていた。
「昨日受け取ったあなたの手紙(不明)は私をとても幸せにしました。
私からあなたへいつものお菓子の贈り物をします。元旦にはあなたに届くはずです。
ストラッキーノとボンネチョース夫人からの
コールドクリームです。」
ショパンはサンドに何かを買ってもらうようなことはなかった。それに引き換えショパンはサンドへ贈り物を常にしていた。
ショパンが年上の女性の庇護の下で暮らしていたということは全くないのだ。それどころか、ショパンはサンドの子供にも、特にモーリスにはお金を集られて散々な目に遭わされてきた。
この時のサンドへのショパンからのプレゼントは、パリでしか手に入らないイタリア北部の柔らかい高価なストラッキーノチーズ。
そして、フランスの牧師、ルーアン大司教、アンリ・デ・ボンネチョース枢機卿の弟で、作家、歴史家で詩人のエミール・ド・ボンチョースの妻のボンネチョース夫人(イギリス海軍の中将の娘であるシャーロット・ゴーリー)からショパンがサンドのために入手した、当時の贅沢な化粧品コールドクリームだったのだ。
エミール・ド・ボンネチョース
(1801年8月 18日ホラント王国−1875年2月 15日パリ)
作家、歴史家、詩人
兄弟にアンリ・デ・ボンネチョース
ルイ・ド・ボンネチョース
エミール・ド・ボンネチョースは、1793年にオランダに移住した中佐のルイ・ガストン・デ・ボンネチョースと、オランダのカルヴァン主義家の子孫だった。彼はフランスの牧師、ルーアン大司教、アンリ・デ・ボンネチョース枢機卿の弟である。
彼は1818年に最初のサンシール騎兵学校の学生となり、その後、王政復古の参謀官になりました。1826年に彼はイギリス海軍の中将の娘であるシャーロット・ゴーリーと結婚。
中尉になりましたが彼は1830年に辞任し、文学に専念した。フランセーズ劇場で演じられた彼の悲劇ローズモンドと彼の詩は勲章を授与されました。(1838年レジオンドヌール勲章)その後、ルイ・フィリップ王に気に入られヴェルサイユ宮殿の司書になりました。
その後、歴史家として重要な活動を展開し、特にフランスとイギリスの歴史に関する参考書を出版。プロテスタントであった彼はフランスの聖書協会の議長を務め孤児院の理事長を務めました。


Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです  

0コメント

  • 1000 / 1000