F.CHOPIN、ソランジュの企みはショパンの企みか…ポーランドの親友ティトゥスと姉ルドヴィカに会いたいショパン

ショパンはソランジュの婚約相手に「申し訳ないと思っている」とポーランドの家族に良心から語ったのは実は表向きの顔であった。
フレデリックは人とは全く違う人生を歩んで来たのだ。そういう彼だから、サンド一家の結婚騒動の真相の鍵を握っていたのは実はショパンだったかもしれない。
ショパンはワルシャワの家族にサンド一家の行く末を心配しているかのように報告していたが、それは自分の行く末を心配してくれているポーランドの家族にショパンは
サンド一家から密かに離れようと考えていることを知っておいてほしかったからなのだ。
「私は何を企んでいるかを知っています。」
ソランジュの企みは知っていると姉ルドヴィカに話すフレデリック…。
つまりは、ソランジュがこれから起こそうとしていることは何かを私は知っていると言う事か。
ソランジュはショパンを母親以上に信頼していた。二人は親子以上に会話して来た。ショパンはソランジュに何を意見したのか…自分の指図だからソランジュが何を企んでいるか知っている…。意味ありげなフレデリックだ。
このひと言をワルシャワの家族に伝えるとショパンは話題を変えて、書簡の続きを認める、、
「この夏は何をするかをあなたは私に尋ねましたが、
いつものように天気が暖かくなったらすぐにノハンに行くつもりです。」
ショパンはワルシャワの家族からの返事を書いていたのだ(家族からの書簡は現存せず)
「それまでは、私はここ(パリ)にいて、あまり疲れないようにレッスンをたくさんするつもりです。」
サンド一家から離れたいはずのショパンだが、彼はまだノアンに未練があったのか、それとも後始末が何か残っていたのか。
それから、好きでもないレッスンの仕事はお金のためだったショパン。亡き父ニコラスからも、
「おまえは健康的に暮らすように、
レッスンの仕事は控えなくてはならない」と
忠告されてきたことを忘れはしないフレデリック。姉ルドヴィカからも忠告があったのであろ、疲れないようにすると言うフレデリック。。。
「もしもティトゥスが計画通りに旅に出たら
僕はここで彼と一緒に時間を過ごしたい。」
親友ティトゥスがパリに来るかもしれないと、姉ルドヴィカから知らされたフレデリック。親友ティトゥスはポーランドで農業に従事していたがパリに居るショパンに相談したい事があった。。。
「バルチンスキさんはまだ旅行を決めていないそうですね。でも、もしあなたが旅行に行くなら、どこかで私はあなたに会えますよ。夏になると、私は時間とお金の両方を自由に使えるようなりますから。
冬の間に、つまり、私の健康が許せば、稼いでおきますから、」
フレデリックの健康とお金を心配してパリに来ると言う姉ルドヴィカに、
健康とお金はなんとかするからと、伝えたフレデリックだった。
ショパンは姉ルドヴィカを誰よりも尊敬し慕っていた、バルチンスキはパリに来なくても、姉ルドヴィカだけには会いたいと思っていた。
ティトゥス・ヴォイチェホフスキ
(1808年12月31日-1879年3月23日)
ポーランドの政治活動家
農業従事者
ポーランドの芸術家のパトロン

ティトゥス・ヴォイチェホフスキは
ガリツィアのレンベルグ(現在ウクライナのリヴィウ)で生まれた。
彼はショパン家と親交があり、ワルシャワ高等学校でショパンの親友だった。
彼はワルシャワ大学で法律を学んだ。
1827年ラ・チ・ダレム変奏曲、正式名モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の『お手をどうぞ』による変奏曲はショパンからティトゥスへ献呈された。
ショパンのポーランド時代に彼はショパンとコンスタンツァアの恋を取り持った。
ショパンがポーランドから出国してからも、ウィーンからショパンの肖像画をコンスタンツァアへ届けたり、彼はショパンがパリに行ってからもショパンの書簡をコンスタンツァアへ届けていた。
彼は1830年のウィーンへの旅でショパンに同行し1830年11月の蜂起ではポーランドへ戻って戦闘に参加し少尉になった。ポーランドの最高の軍人章であるヴィルトゥティミリタリを授与された。
彼は伯爵夫人と結婚し、次男にショパンと同じフレデリックと名付けた。
彼は農業に従事しポーランドで輪作の導入を開拓し、1847年にポーランドで最初の製糖工場の1つを設立したが1861年から62年に倒産。彼は1863年1月蜂起に参加した。
彼はポーランドのポトゥジンで亡くなった。
ティトゥスが所有していたショパンの記念品は1914年に焼失し、ポトゥジンの家族の邸宅は第二次世界大戦中に破壊された。
※ショパンとティトゥスの友情はショパンのポーランド時代からショパンの生涯を通して
続いた。そしてショパンが亡くなった後もティトゥスはショパンとの友情を続けた。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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