父ニコラスからの便りがひと段落したところで、続いて、フレデリックへの便りは姉のルドヴィカとその友人に筆を代わった。
「噂によりますと、あなたのことを女王と宮廷がお気に召されたそうですね。
あなたは王様から立派な陶磁器を受け取られたと聞いております。
あなたの他にも招かれた人々は王様からの褒美のお金を受け取ったと私たちは聞いております。
しかし、あなただけは、王様からの褒美のお金を断られたと聞きました。そして、王様はあなたを喜ばせるために、あなたの父親にお金を与えるとあなたに申したそうですが、あなたはそれをも断ったそうですね。」
ルドヴィカの友人のアレクサンドラ・プルシャックとその娘アレクサンドラ・ミレツェコは、親子でふたりががりでそう述べた。
ミレツェコの兄、コンスタンティはフレデリックの少年時代の楽友で、ニコラスのフランス語の授業をコンスタンティとフレデリックのふたりは一緒に受けていたことがあった。プルシャック家との関りは父ニコラスの努力による、とても古くからの話なのである。
ショパンが18歳の頃、夏休みの間、ポーランドのマゾフシェ県サンニキ村を所有していた貴族のブルシャック家にフレデリックは招かれ親交を深めたことがあった。
アレクサンドラ・プルシャックが言いたいことは、「あなたは私たちの顔を潰してくれたのですね、あなたの性格は子供の頃から私たちはよく知っています。あなたは断る人であることも。けれど、王様の褒美を断るということは私たちの立場がないのですよ」そういうことが言いたかったのだ。
続けて、姉ルドヴィカが筆を代わった。
「私が、その場に居合わせたとしたなら、あなただけがお金を受け取らなかったことに宮廷に招かれた人たちが驚いている様子の顔が私は見たかったものです。
少なくとも、私はフレデリックの行いは道理や倫理にかなっていると思います。
いずれにしても、あなたの行いは、自分の意思を宮廷と言う場所でも表現できるのであることを世間の人々に知らしめました。」
ルドヴィカは、ことの重大性がまだよくわかっていなかったのか、本当はプルシック家が嫌いだったのか「よくやった」と、弟フレデリックを褒めたのである。
ショパン家はフレデリックが子供のころから、そしてポーランドを発って以来、
フレデリックがウィーンへ行った頃から、そしてパリで活動をするようになってからも
フレデリックに仕送りを続けて来たのだ。フレデリックが音楽で収入を得るようになってからも、フレデリックが貧乏であることを知っていたニコラスは、息子フレデリックにお金を送り続けて来たのだ。
そのお金は、いつからか母ユスティナが内緒で借金をして工面していた金だったのだ。しかも、そのお金はプルシック家から借りていた可能性があるのだ。
Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景
Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです
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