F.Chopin、①母親サンドと娘ソランジュ、ソランジュは母サンドに服従か…その時ショパンは…

クレサンジュによるソランジュのスケッチ画より
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ノアンの村では、サンド一家は批判の的だった。実は馬鹿なことをしたと
ソランジュが言ったことになっているこの騒動は、実は村人達がサンド一家のことを馬鹿なことをしている一家だと蔑(さげす)んでいたのだ。
ソランジュの結婚前の妊娠事件は本当にクレサンジュの子供だったかは闇から闇へ葬られてしまった。しかし、村人達はソランジュが
氷の張った川に飛び込んだのを見ていたのだ。サンド一家は愚かなことをしているとたちまちノアン村に噂が広まってしまったのだ。
この醜い出来事が起きた直後にサンドの一存でソランジュの結婚は進められたのだ。
ソランジュが実際に自分から
川に身を投げたかは真相はわからない、しかし、判るのは、いつも母サンドといさかいが絶えなかったソランジュは自分に対して優しいショパンを頼って何でも相談してきた。
サンドは気性が激しかった、使用人に対しても気に入らないことがあるとバケツで水をかけるなどして脅したり、直ぐにクビにしてしまったり、、ショパンは使用人に親切だったの対してサンドは使用人に罵声を浴びせていた。
そのような出来事にショパンはいつも心を痛めてきた。
ソランジュはそんな母サンドが恐怖でしかなかった。
まさか、川に身を投げたのはソランジュからではなく、サンドが「いったい誰の子なんだい?!!」とソランジュに詰め寄り、
ソランジュが「この子は◯◯◯◯の子です…」と怯えて答えた後、サンドが
「そんなことが許されると思っているのか!!」激怒したサンドは手の方が早く、
ソランジュを川に突き落とした、、、
村人は見ていてソランジュを助けたから
ソランジュの命だけは助かったのか…。
サンドはそれを村人に見られていたため世間に隠せないから、
「村人に私は非難されているが、ショパンをこの家の主(あるじ)にするわけにはできません。私は私の心に従いそのように行動するしかなかった」とグシマーワに弁明した、これならつじつまが合うのだ。
さて、この騒動の直後、サンドはソランジュをクレサンジュとほぼ強引に結婚させてしまう。
クレサンジュも訳ありの男で付き合っていた娼婦が子供を宿したことをしくじったと罵り殴ったことがパリでは知られてしまっていた。そのクレサンジュの足元を見たサンドはショパンに恋するソランジュをさっさと片付けるにはクレサンジュが好都合であった。
ソランジュはサンドの思惑通りにならないように抵抗して来たがサンドに屈するしか道は残されていなかった。
こうして、サンドがグシマーワへ怪しい弁明書簡を送って1週間も経たないうちにソランジュとクレサンジュのお互いに望まない不幸な結婚式は5月20日にノアンで行われたのだった。
サンドはソランジュの名前に自分の作家としてのペンネームである「ソランジュ・サンド」を名乗らせ、ソランジュに足かせを付け逃げ出さないようにした。
ソランジュの結婚式の時、サンドと離婚したソランジュの父親のことはサンドは伏せていた。サンドはなぜか、この日、足首を捻挫して、椅子で教会に運ばれたのだ。ソランジュと結婚式ギリギリまで言い争ったのか…。
ソランジュの結婚は誰も呼ばずサンドの一存で村長と司祭立ち会いの元、簡単に済まされてしまった。
サンドはグシマーワに言った。
「友人よ、私は娘の結婚に全て満足しています。」サンドは娘ソランジュと自分を裏切った憎きショパンに勝ち誇った気分だった。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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