ショパンは、ソランジュがサンドと仲違いしながらも、ソランジュの後ろで糸を引いているのはサンドであることを知りながらも、ポーランドの家族の身を思うと、きっぱりとサンド一家と縁を切ることが出来なかった。
そんな、ぐずぐずした状態から逃れられずにショパンはいた。
ソランジュとモーリスはパリでショパンから大金をせしめた後、パリからノアンより少し遠いシャトル村に来ていた。
二人は、パリからブザンソンへ行き、ブザンソンからシャトルに行っていた、本当に最初にノアンに寄らなかったのであろうか…。
ノアンからシャトルは、馬車で凡そ30分かからない。
シャトルのソランジュからショパンへ書簡が届いた。
「無事にシャトルに到着しました。初日の夜はマリオネットさんの家に泊まり、翌朝にはデュベルネがル・ポンの見本市の帰りに迎えに来てくれました。今は彼の家にいます。昨日、シルヴァン(使用人)が私の到着の知らせをノアンに伝えました。私の母はすぐに彼を送り返し、私が母に会いに行くかどうか尋ねました。私はデュベルネット夫妻と一緒に行きました。
私は母が大きく変化しているのを見ました。まるで氷のようなに本当に硬くなっていて、
夫と別れればノハントに戻ってもいいと言うのです。
あなたはどう思いますか?その後、私が母に優しい言葉が見つからなかったのはご理解いただけるでしょう。」
ソランジュはパリからノアンを素通りして、
シャトルのマリオネットさんの家に泊まり
そこからデュベルネット夫妻とノアンへ行ったと話した。
宿泊費もきり三人の世話になったと言うソランジュ、そして、サンドに会ったが、
クレサンジュと別れろとサンドに言われた、とショパンの同情心を揺さぶるソランジュ。
その前置きの後、
「母はお金の話しをし始めました。私たちと同じように母も困っていることがわかりました。」
これは笑いないし、払えないショパン…。
ソランジュに払ったと同額をサンドに払えと言うことか。恐ろしい親子だ、やはり、
ソランジュはサンドに言わされているのだ。
仲違いしているとショパンの同情を引きながらも、会って話しをしたサンドとソランジュだ。
「モーリスは身勝手でひねくれた表情で私のところにやってきて、彼はベベ(犬)と遊んで私に親切なふりをしました。
いずれにしても、私は誰にも会ったことがなかったときよりも動揺してノアンを後にしました。」
モーリスはノアンの全財産を貰えることになっているからだとソランジュは話す、
「 ランバート [画家] のアトリエは倉庫の部屋に設置されました。
夫のために作られていた寝室は何もない状態です。ベッドカーテン等を取り外し、部屋を分割してありました。
二つの部屋は、一つは講堂、もう一つは舞台で、俳優さん達が演技をするのです。
Leontine、Henry、Duvernet(使用人)はそこでショーを見ているのです。
私の化粧部屋は俳優さんの衣装部屋になり、私の居間な俳優さんの休憩室として使われているのです。
こんなことは誰も信じないことでしょう。」
ソランジュだけの話からは真実は見えては来ない。ノアンには部屋はたくさんあり、
毎年夏にはたくさんのサンドの友人や芸術家を招いていたのだ、ソランジュとクレサンジュの部屋が他に使われても、他にも部屋はあるから、居場所がなくなることはないはずだ。模様替えはいつものことではなかったのか。
そして、ソランジュはしつこくショパンに話す、…
「母はこの冬はパリに行きません。彼女は私に申し出た。
母のアパルトマンの使用を私は断ったが、それは2回以上、私は母から言われています。
母は私にパリの家具をくれると言いました。」
サンドのパリの財産は借金による差押えになっている、だから、パリにサンドは戻れないのだ。その借金をショパンさんが払ってくだされば、私達がパリのサンドの部屋に住めるようになるとサンドが許可していると言うのだ。しかも、サンドの家具はショパンが苦労して書いた曲を苦労して出版して買った家具だった、それを、サンドはソランジュに与えると言っている、とソランジュはショパンに
書いてきた。
ソランジュのものにショパンの家具がなったところで、サンドがそれを頂戴する算段なのか…。馬車の次は家具か、ひとつひとつ要求してくるサンド一家なのだ…。
どうするショパン、、、。
そして、ソランジュの要求はサンドの要求であることをこのあと書簡の最後に匂わせるソランジュ…
「今朝、母はシモネ(使用人)をよこして、
私達にお金の問題があるから、私とお金の問題について議論するからノアンに来るように
と母から言われました。
さようならショパンさんデュベルネット夫妻が私を待っているので。
明日は、私の父の住むギルリーの家へ出発します。ソランジュより 」
ソランジュは、使用人はショパンがノアンに来ていた頃の人は誰もいないことを案に書いて、お金がないと言いながら、これだけの人達を雇っているからお金が足りないのですよ、ショパンさんと話す。
そして、お腹に子供を宿していたはずのソランジュだが…、
ブザンソンからシャトルまで、230km、休まず馬車で凡そ、1日以上かかる。
ノアンとシャトルは馬車で凡そ20分から30分。
ノアンから父親の住むギルリーまでは、369km、馬車で凡そ休まず20時間50分だから1日以上。
休まずの計算で当時は道も最短距離ではなく馬車の揺れも酷かったであろうから、もっと時間を要したはずだ。
1カ月前にはノアンからパリ279km.馬車で休まず凡そ14時間33分、休まず1日以上、
パリからブザンソン390km休まず21時間、馬車で休まず凡そ1日以上。
これだけの距離と時間を短期間の間に、
妊娠6カ月の妊婦が馬車で田舎のガタガタ道をあちこち行ったり来たりしたとは、いったいどういうことであろうか…。
全てはお金を巻き上げるための狂言か、ショパンは騙されているのか…。
Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景
Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです
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