F.Chopin、サンド一家への手切れ金は…、人の努力を先回りし横どりすることは人間失格と道徳の父ニコラスから教わって育ったフレデリック・ショパンは…

ソランジュの口裏合わせの書簡を受け取ったショパンはブザンソンのソランジュへ
返事の書簡を書いていた。月は変わり10月に入っていた。
ソランジュが言っていたように、ブーゼモン氏がショパンのアパルトマンを訪ねて来てた。ソランジュへショパンはお礼を述べた。
「あなたの手紙が届いたとき、私はちょうど
ブーゼモン氏の事務員が500フランの支払いのために私のところを訪れたことへのお礼をあなたへ書いていた最中に、あなたの手紙が届きました。」
ショパンは500フランのお礼をさらりと書いて、ソランジュからの書簡は届いたばかりだから、まだよく読んではいないと、上手くかわした。
そして、
「モリンの瓶(ショパンが常用していた薬)よりも効果がありました。」
ソランジュからの便りを受け取ったことが、
その頃、薬をよりも効き目があり嬉しかったから、あなたの手紙で私は元気になった、とお世辞を書いて、誤魔化したショパン。それからは、お金やソランジュが書いて来た内容には全く触れず、書き進めるショパン。
「私は、ド・ロスチャイルド氏に連れられて、フェリレス(フランス中北部イルドフランス地域セーヌエマルヌ県)の彼の家で数日過ごす気分になりました。
数日前に、かわいそうなエンリコ(マルリアーニの義弟)が病院で亡くなりましたが、それはマルリアーニ夫人が彼女のアパルトマンの部屋を貸そうとしていたところでした。
彼女はエンリコが恋しくてたまりません。マルリアニ夫人は、
昨日、私に会いに来て、自分が最近出したサンド夫人への手紙にノアンから返事が未だにないことを驚いているとのことでした。」
サンドはショパンに絶縁を言い渡してから、ショパンへ書簡は全く出さなくなっていた。マルリアニ夫人はショパンへサンドから自分に書簡が来ないのは、あなたのせいではないのか、とショパンに確かめて来たのだ。
そして、マルリアニ夫人からショパンは質問攻めにあったが、
グジマーワにもドラクロワにも、ロゼールもノアンの様子は誰も何も知らないと、ショパンはマルリアニ夫人に伝えたことを、ソランジュに話した。
その上で、マルリアニ夫人には、ソランジュから書簡が届くことになると話してあると、ショパンはソランジュに伝え、マルリアニ夫人はパリ16区のシャイヨの丘へ旅へ出かけたことを付け加えた。
「私は今レッスンの途中ですので、
この書簡を書き終えるのを待っている人がいます。
この書簡にはいろいろな良いニュースを書きたいのですが、私には何もありません。」
ショパンはソランジュに支援した900フランのうち、500フランをブーゼモント氏から受け取らなかった。なぜなら、ソランジュがブーゼモント氏に借金をしてだけだからだ。
ショパンはソランジュの書いてきた馬車やら贅沢な暮らしがしたいという要求は
忙しくて読んでないことにし、
私にはもう何もないですよ。と書簡を終わらせたいショパン。
「私はペンを置きます。お二人の可能な限りの幸せを祈ります。
あなたのご親切に心の底から感謝します。」
ショパンは、500フランは受け取らなかったどころか、ブーゼモント氏に500フラン支払ったのだ。
それでも、ソランジュから500フランは受け取ったことにしておきますから…ショパン。
「私の古い友情は、いつでも、いつまでも、あなたのものです。ショパン」
この古い友情とは、ショパンは9500フランの出費のことだけではないのだ、「古い友情」とは、ソランジュが子供の時から、そしてモーリスにもお金をたかられてきたショパン、サンドの贅沢による散財と借金地獄、サンド一家にどれだけお金を吸われて来たかわからない、そのお金のことを言っているショパンなのだ。
ショパンはソランジュに「私のお金はもう返さなくいいいですよ、あなたのものです。」
ショパンはこれをサンド一家との手切れ金という意味で書いた。
そうやって、人が苦労して努力で得たものを、横どりしたり、先回りして、あたかも自分の手がらのような顔をする、そういうことはいつの世も犯罪者であり人間失格なのだ。
ショパンはそのことを知っていたのだ…。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです