F.Chopin、物欲に駆られるサンド、引き払ったはずのアパルトマンにモーリスを忍び込ませる、どうなるショパンの財産は…

ドルレアンのアパルトマンの建物の入り口扉とモーリス・サンド、ナダール写真から、
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ショパンは12月31日何処にいたのか、
フィリップ王の妹アデレードは12月31 日に
亡くなったことをその日のうちにソランジュへ伝えているが、大晦日を挟んで姉ルドヴィカへも書簡を書いていたのにもかかわらず、
いつもルドヴィカにパリの様子を詳しく書いていたショパンがどうしたことか、この一大ニュースをルドヴィカには伝えなかったのだ。
アデレードは知的で忠誠心が強くかった。そのため、フィリップ王は実は自信家のアデレードの言いなりでだったのだ。その結果、アデレードは政治的影響力を行使するようになっていた。彼女は自由主義者として育てられたため立憲君主制を支持していたのだ。そのアデレードが亡くなったということは、フィリップ王が失脚するのも時間の問題だった。
その日はそこまでやって来ていた…。
2月に入り、サンドはそれを知っていたかのように一家はすっかりパリから離れていた。
不安定なパリ情勢が続いていた、そんなある日。モーリスはノアンからパリにサンドの命令で来ていた。ドルレアンの引き払ったはずのサンドのアパルトマンの部屋にどうやって侵入したのか…借金で一切の家財道具は差押えになっていたはずなのだ、サンドはモーリスに、
急いで残っている物を物色するように命令した。
「もし、リネンや銀食器が見つからなかったら、思い切って、ロゼールにそれらの物をどうしたかをお前から聞き出すことをしなくてはならない。
私は銀食器がどれだけあるのか、あそこ(5号室)に残っていたのかどうか、よくわからないのだよ。
いずれにしても大した量ではないだろうから、あったかどうかだけロゼールから聞き出すのだよ。
リネン類については、確かにあったのを覚えているから、リストを同封します。. . . お前はこのリネンを見つけなければならない。私たちはここ(ノアン)で不足しているのだよ、」
サンドは欲に駆られていた、ショパンが買って揃えた高価な銀食器があるはずだと、モーリスに指示書を書いて渡した。
早くそれらの残っている物をパリからノアンへ送って来るよう指図する。
銀食器はどれだけの物があったかは、料理をしないサンドは覚えていないと言う…、高価な調度品として飾ってあっただけだったからだ。
リネン類もショパンがパレロワイヤルで買った物で、その最高級な生地でドレスをショパンに指図してパレロワイヤルの仕立て屋で作らせていた。
その残りの生地がまだたくさんあったはずだとサンドは焦ってモーリスに聞いた。
ノアンで私たちは生地に不足している、とはどういうことか、使用人に最高な生地をサンドが与えるわけがない、モーリスは男だから、これから結婚させようとしている養女オーギュスティーヌとサンド自身の分だろう。
「もしも、ショパンがロゼールかソランジュに送っていたら......
その場合は、ソランジュの家の調度品として渡している金額から(リネンの生地の分を)差し引いてやるのだよ、」
ソランジュはギリルの父親の家に身を寄せているのだが、そこに、既にサンドはショパンから貰った調度品の一部をソランジュの居る別れた旦那のデュドバンの家に隠していた…。どこまでも欲深いサンドは、
ソランジュに渡したその調度品の金額からショパンからソランジュが貰った生地の金額を差し引く、とモーリスに書いた、
つまり、その金額をショパンに請求してやるという魂胆なのだ。
サンドはそれでもまだ不足だった、モーリスに更に書いた。
「台所用品も確かにあったはずだ。鍋もあったはずだから、ロゼールがそれらをどうしたかをお前は聞き出すのだよ」
ドルレアンのアパルトマンに移り住んだころ、ストーブと一体化したレンジ調理器を
ショパンが買ったことがあった。そのことであろ…
「もし自分でロゼールに会いに行きたくなければ、ランブルーシュ(画家のランベール)
にロゼールのところへ行かせるのだよ、あいつには、お前がパリにいることを誰にも言わないように口止めして、、急いで、後回しにすることは許さない。」
お金の欲と、ショパンに買わせていた物を完全に自分の物にした上に、アパルトマンでの
生活の証拠隠滅を息子に尻拭いさせる悪い母親サンド…。
これから、パリで起こることを知っていたサンドはとにかく焦っていた。
そして、サンドはモーリスにもう一つ指令を出した、
「新聞によると、ショパンは出発前にコンサートを開くそうではないか、
どこへ行くのかお前は知っているか?ワルシャワか、それとも単に
ソランジュと父親の所か!
それは広場に行けばわかるはずだ!」
ショパンはパリのプレイエルの家で演奏会を開くように誘われていた。そのニュースを嗅ぎつけたサンドは、ショパンはいつも演奏会が終わった後、何処か旅に出る習慣を思い出し、
その行き先をドルレアンのアパルトマンの前にいる馬車の御者から聞き出すようにモーリスにサンドは指令を出した。
サンドはとうとうショパンがワルシャワへ帰るのではないかとかと探っていたのだった…。
 

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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