ワルシャワ聖十字架教会とクレサンジェ製作によるショパンの胸像1849年よりイメージ
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それから1週間後、ショパンはソランジュを支えるためにまた書簡を書いていた。
ソランジュに子供が生まれてショパンからお祝いの言葉を送ったのも束の間、ギリルのソランジュにショパンからのお祝いの書簡が届いた頃には、ソランジュの赤ちゃんは既に亡くなってしまっていたのだった。
ソランジュの女の赤ちゃんは生まれてから4日目で亡くなってしまいソランジュは失意に暮れていた。サンドがノアンに帰った頃にはサンドは孫に会えなかったということなのだ。
サンドはソランジュと仲違いしていて、クレサンジェと別れるようにソランジュに言っていたほどだったが、このことを心から悲しんだかは分からないのだ。
その後、ショパンは取り乱しているソランジュを励ます書簡を書き続けた、
「…残っている人のために、自分を大切にしてください。今、ご主人に会いましたが、彼は元気で、勇敢で、希望に満ちていました。
昨日、彼は「自由の女神」の胸像に取り組んでいました。もう完成していて、トア(美術評論家)の誰もが[パリの美術評論家は皆、素晴らしいと評価しています。
これは明日パリ市庁に運ばれます。マラストはパリ市長だし、バスカンさんも助けてくれるだろう。
ご主人は警察を仕切るコーシディア氏を知っています。
警察を統括しているコーシディア氏と知り合いで、胸像を国民衛兵に護衛させます。
彼(クレサンジェ)は忙しくて手紙を書けないと言っていました。明日、胸像が出発した後に手紙を書くそうです。
胸像は7時に運び出されます。だから、彼の健康を心配する必要はありません。
彼はできる限りのことをしているのですから。彼は勇敢です。お二人(ソランジュと父親)が別れに耐えられるように、お二人の療養生活に気を配ってください。
そして冷静になってください!
ありがとう
お父様のお世話と、ルーチェ(私はいつも彼女があなたの善良で献身的な使用人であると信じていました)のお世話で、あなたの健康は回復し、新しい幸せが始まるでしょう。」
ショパンはソランジュに使用人ルーチェを送り込みソランジュを助け、ソランジェが彫刻家として仕事が成功するように手立てを尽くした…パリに住む芸術家は2月革命後、誰もが悲惨な状況で仕事がなく生活が出来ない状況であった。
そしてサンドのこともソランジュの心配が少しでも軽くなるよう気遣ったショパン…
「お母様はパリを離れられたそうですね。あの時以来、お会いしていません。お母様はノアンであなたの手紙を受け取ったことでしょう。お気の毒に、お母様には大きな衝撃でしょう。
彼女はきっとあなたのためにできる限りのことをしてくれると思います。だから
勇気を持って落ち着いてください。ありきたりの悲しみの表現は割愛しますが、
大きな苦しみの前では、それではとても不十分だからです。」
サンドはショパンの悪口を陰でモーリスを使い言いふらしていることをショパンは知りながらも、ショパンはサンドのことをソランジュの精神の安定のために悪いようには書かなかった。
Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景
Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです
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