F.Chopin、ショパンはそれでも協奏曲は断りたい…ビクトリア女王の女官サザーランド侯爵夫人の招きとは…     

ショパンはロンドンに来て3週間というものポーランド亡命者に会ったり、山のように来る社交界からの招待状に目を通して返事を書いたり、リンドからのロイヤルオペラへの招待に赴いたり、目が回る毎日であった。新しい使用人はイタリア人ということも、ショパンにとっては不満の種だった。
しかし、どんなに忙しくともグシマーワへ
報告することだけは怠らないショパンだった。
「サザーランド公爵夫人が私を女王の謁見に献上するのは明後日のことです。
女王は、洗礼のために彼女の家に来ます。
洗礼式がそこで行われます。女王とアルバート王子が私を気に入ってくれればいいのだが、私のことはすでに知っているので、すべてがうまくいくでしょう。私は振り出しに戻りました最初からやり直しです。フィルハーモニーで演奏しないかというオファーがあったのですが、オーケストラと一緒に演奏することになるので、やりたくありません。オーケストラがどんな程度か私は観て来ました。
プルーデントは自作の協奏曲を演奏し成功しなかった。
ロンドンの上流階級のお客はモーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーンを求めている。しかし、ロイヤルオペラハウスの監督やその他の人たちは、私のコンチェルトはすでにロイヤルオペラハウスで演奏され、成功を収めていると言うが、私はそれを受け入れたくないのだ。」
ショパンといえども女王の謁見は流石に外せない、女王と王子とショパンはアルバート王子とは手紙をやり取りする仲なのだ。
女王から『ショパンさん、ロンドンに来てくださいましてありがとう。あなたの協奏曲をロイヤルオペラハウスで聴けることを嬉しく思っております』などなど、もしかしたら声を掛けられるかもしれないのだ。
その場合、どう答えれば女王のご機嫌を損ねないか、上手く断る方法をショパンは考えていた。
ショパンの協奏曲は誰が既に演奏したのか、
ロンドンフィルハーモニーが既に演奏し成功したというのは嘘だとショパンは知っていた。
ショパンは自分の曲がプルーデントの二の舞いになることを予想し、
グシマーワへそれを詳しく話さずにはいられなかった。
「彼らのオーケストラは、彼らが食べる
ローストビーフやカメのスープのように、
強力で効率的だが、
それだけだ。
私が今言ったことは、実際には言えない断りたい理由です。
一つだけありえない事情があります.....
オーケストラの団員は、それぞれの時間が貴重なので、リハーサルは1回しか行わないのです。そして、そのリハーサルとは公開で行うのです。」ショパンは自分の作品を本当は演奏をして成功などしていないオーケストラと
リハーサルとはいえ公開で誰が来るかわからない場所でぶつけ本番で一回のみ合わせ、
次はロイヤルオペラハウスで本番とは、
上手くいくはずがないと考えていた。しかし、ショパンは意見を言える立場でなかった。
ロンドンに亡命した友人のハレならロンドンフィルハーモニーと上手く付き合うであろうとショパンは自分の代わりにはハレを…『国民はメンデルスゾーン望んでおります。ハレは優れています』とでも言おうかと頭を巡らせたのかもしれない…、
事実、ショパンはハレのことを「彼こそがロンドンにふさわしい男なのだ」と思っていたのだった。
しかしながら、ショパンはサザーランド貴族の城にサザーランド公爵夫人の招きで訪れ、ビクトリア女王とアルバート王子の6番目の子供ルイーズの命名式の席でショパンは演奏したのであった。何を演奏したかは語らなかったショパンだった…。
(1849年サザーランド公爵夫人の肖像画より)
サザーランド公爵夫人
(ハリエッタサザーランド-レブソン-ガウアー)(1806年5月21日ロンドン-1868年10月27日スタッフォードシャー)
彼女は1846年から1852年衣装係の女官で
ビクトリア女王の親友でした。
彼女はスコットランドの貴族である第6代カーライル伯爵ジョージ・ハワード(1773-1848)とその妻レディー・ジョージアナ・ドロシー・カベンディッシュ(1783-1858)の12人の子供のうちの3番目の娘で、政治家である第5代デボンシャー公爵ウィリアム・カベンディッシュとその最初の妻レディー・ジョージアナ・スペンサーの娘でした。彼女は優れた教育を受けたため、複数の外国語を操り、彼女は文学、音楽、絵画の教養に長けていた。
彼女はロンドンの上流社会の重要人物でり、アメリカの奴隷制度に抗議するなど、さまざまな慈善活動を行った。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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