F.Chopin、サザーランド大邸宅に招かれたフレデリックの名誉とは…

ショパンにとってワルシャワの家族とは姉ルドヴィカの家族、妹イザベラ夫妻そして、父はもういない…母ユスティナのことなのだ。特にショパンは亡き父ニコラスの誇であった。ショパンはお金に困っていると書きながらも家族への報告は自分を誇りに思ってもらえることを何か書き記したかった。
「 …私はこの前の書簡でサザーランド公爵夫人が女王を招いたことを貴方に書いたと思います。
晩餐会では、ロンドンの上流社会から80人が選ばれ招かれました。その中には皇太子の他には、プロイセン王家と王室一家だけであって、それ以外は、ウェリントンのような特別な人たちだけです。」つまりショパンは特別に招かれたということなのだ。サザーランド公爵夫人はショパンを女王に紹介し、女王陛下は丁重にショパンに2度ほど話しかけたのであった。
これほど名誉なことはないとショパンは家族へ伝えた。女王は招いた全員に話しかけることはない。皆の者は女王に話しかけてもらえるのを待つのだ。
下の者から上の者に話しかけてはならない、上流社会の掟なのだ、そこで誰が誰に気に入られているのかが招待された貴族や人々に明白になるのだ。
ショパンは更に、アルバート王子が自分が演奏するピアノの傍らで演奏に耳を傾けてくれたのだと家族へ伝えた。ショパンが演奏したのは水晶宮の間ではなかったが、
ショパンに女王と王子は好意的だったことは、ショパンには唯一の救いであった。しかし、それも、そのはずであるのだ、ショパンはパリに居る頃からアルバート王子と書簡のやり取りをする友人であったのだ。それは誰も知りもしないのだ。「……(こういう好意はめったにないことだ)と、招かれた誰もが話していました。」やはりショパンは英語が解らないと言いながら実は英語を聞き取っていた。
晩餐会でのその夜、歌ったイタリア人は、マリオ、ラブラシェ、そしてタンブリーニで女性の歌手はいなかった。女王が気に入る女性の歌手はいないということだったのか…。
そして、ショパンはサザーランド
公爵夫人の大邸宅についての説明に入った。
「それは私の手に余るものです。
女王ですら、これほどの大邸宅の別荘を持ってはいない、と英国人の人々に話題です。すべての王宮とお城は古くて立派ですが、このお城のようなセンスと優雅さはありません。」
王宮のお城はイギリス的な豪華さではあるが洗練されたフランス的な優雅さはないとショパンは感じていた。しかし、サザーランド邸宅は王宮よりも洗練されているため、とても言葉では言い尽くせないほど素晴らしいということを家族に前置きしたフレデリックであった。
「サザーランド公爵の宮殿はスタッフォードハウスと呼ばれています。セント・ジェームズ・パレスの近くにあり、ちょうど王城の近くにある宮殿のブラチャ(ワルシャワの小劇場)のようなものです。」
ショパンはサザーランド大邸宅の中の説明を更に詳しく家族へ伝えた。
「例えば、階段は有名です。その壮大な効果は、前庭からでもなく、あるいは前室からではなく、居室の真ん中に位置しているのです。巨大なサロンには、華麗な絵画、彫像、ギャラリー、絨毯があり、そのすべてが美しく配置され、最も素晴らしい遠近法の効果があります。そして、女王が階段に立ち、最高に素晴らしい遠近効果でまばゆいばかりの光を放つダイヤモンドと勲章で覆われている。
そして、ガーターを身につけた貴族たちが、最高の気分で階段を下りてくる。優雅にグループごとに会話し、様々な踊り場で立ち止まり、どの場面も新鮮で見ごたえがあるのです。
本当にパオロ・ヴェロネーゼのような人が、このようなものを見ることができなかったことを残念に思います。このようなものがあれば、彼は私たちにもう1つの傑作を残したことでしょう。」
パオロ・ヴェロネーゼとは歴史的な画家で
ショパンはパリで彼の大作を観たことが恐らくあるのだ。だから、彼がもし生きていたならば彼にこの豪邸を描いていたであろう、
そうショパンは想像力を膨らませた。
ショパンは自分の書簡を姉ルドヴィカが代表で読み上げ、ルドヴィカを囲んで家族が集まり、目が不自由になってきた高齢の母が目を閉じてそれを聞き入っている姿を思い浮かべながら、
ひたすら光景が目に浮かぶようにフレデリックは手を休めるこてなくワルシャワの家族へ書き続けた…。
パオロ・ヴェロネーゼ(1528年ヴェネツィア共和国、ヴェローナ- 1588年4月19日イタリア)
ヴェネツィアを拠点に活躍したイタリアのルネサンス画家。
宗教画と神話の歴史画の大作を描いた。
代表作『カナの婚礼』(1563)『レヴィの家の祝祭』(1573)で知られている。

パオロ・ヴェロネーゼは、
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488年/1490年頃- 1576年8月27)、
ティントレット(1518年9月29日 - 1594年5月31日)とともに、チンクエチェント(バロック様式の初期絵画)ヴェネツィア絵画を支配した三大トリオである。
ヴェロネーゼは16世紀の後期ルネサンスの画家の一人で、最高の色彩学者と呼ばれている。初期のマニエリスムの時期を経て、パオロ・ヴェロネーゼはティツィアーノの影響を受けて自然主義の画風を発展させた。
「カナの婚礼」(1563)
6.77 m × 9.94 m (267 in × 391 in)
ルーヴル美術館 所蔵(フランス・パリ)

「レヴィの家の祝祭」(1573)
560 cm × 1,309 cm (220 in × 515 in)
アカデミア美術館 所蔵 (イタリア・ヴェネツィア)
「美しきナーニ(女性の肖像)」1552年
ルーヴル美術館所蔵(フランス・パリ)

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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