フレデリック・ショパン、悪魔サンドの娘は悪魔ソランジュ、その子供は…。ショパンの恩を仇で返し続けショパンを苦しめるサンド一家から、ショパンが逃れる最後の手段はあるのか…

ショパンとソランジュ🎶イメージ🎶
ショパンがソランジュに前回書簡を送ってから3か月近くが経った、ソランジュはの子供は生まれて2か月ほどだった。ショパンは、ソランジュに出産祝いを、更なる借金をしてまでもソランジュにお金を送った。
ソランジュからのたかりは止まることがなく
ショパンは苦しめられ続けていた。
ソランジュに書簡を出すのが遅れては、また、更に無理な要求をサンドの指示でソランジュが書いてくることが恐ろしかった。
心にもないご機嫌とりを書簡に書いてソランジュに送っていた。まさか、母ユスティナが
誰かから借りたお金か、細々と貯金して貯めていて、息子フレデリックのためならと、
送ってくれた2000フラン、そこから、
500フランはフランショームに返済し、残りの
1500フランから、ソランジュを黙らせるために、幾らお金を送ったのであろか。
まだ、他にも返済があったから、おそらくは、残りは…。
ショパンのこのお金のサイクルは、結局いつまで経っても変わらなかった。
サンドと表面上は切れても、次は、ソランジュ一家がたかって来るのだ。なぜか、
ショパンにお金が入ると嗅ぎつけて来る、サンド親子…。そのまた子供もそれを見て教えられて育つ…恐ろしいことだ……ショパンはそう思っていたのだ。(このソランジュの子供は早世する運命だった)
そして、ショパンは、また、ソランジュから馬車を貸してほしいと言われていたのだ。
ソランジュに自前のショパンの馬車を奪われ、ショパンは身体が悪くて旅行を延期したと自分のせいにしてソランジュの怒りを買わないように話したが、ショパンは馬車がなくてはどこへも行けないのだ。
細やかな楽しみだったブローニュの森までも自由に行けない…。
「私の馬車について、あなたが注文したように あなたにお貸ししました。
私は身体の具合が悪く旅行計画は変えました。
今ワルシャワにロシア皇帝がおられます。
姉が私に会いに来ることを許可してくださいました。その上で、その後、私はパリを離れなければならないのか、それとも
ここにこのまま滞在するのか決断します。
私はもう長旅が出来ません。…」
ショパンは確かに体調は悪かったであろう、しかし、気力まではまだ衰えてはいなかった。気分さえよければ、馬車で旅に出たかった。馬車はソランジュに送ってもうない、
姉ルドヴィカがパリに来たら、自分が何処の国ならば住めるか、今後の身の振り方が解るのだと、ソランジュ=サンドに伝えた。
その後は、ソランジュがこれ以上サンドと暴走しないように、生まれて来た子供のおべんちゃらを並べたショパンだった。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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