フレデリック・ショパン、マドレーヌ寺院、ペールラシェーズ墓地、そしてワルシャワ聖十字架教会へショパンは愛する姉ルドヴィカと帰った…守護天使ルドヴィカ

マドレーヌ寺院の内部にて、
パリ・マドレーヌ寺院19世記頃
マドレーヌ寺院 現在
マドレーヌ寺院 内部
ジュールス・クロード・ジーグラー、キリスト教の歴史が描かれている美しい天井画。
1835-38年

カルロ・マロチェッティ、マグダラのマリア、三人の天使の彫刻
1841年、449 cm、大理石
パリ・ペールラシェーズ墓地、現在
ショパンの墓
オーギュスト・クレサンジュの彫刻による

♬ パリ東部にある墓地です。
ルイ14世の僧侶であったペール・ラシェーズとして知られるフランソワ・ド・エクス・ド・ラ・シェーズ の名前が由来です。
歴史的著名人のお墓がたくさんあります。
コレット、アラン・カルデック、ジム・モリソン、アルフレッド・ド・ミュセット、
エディット・ピアフ、
バルザック、オスカー・ワイルド、モディリアーニ、プルースト、エディット・ピアフ、マリア・カラス、「レ・ミゼラブル」のジャン・ヴァルジャン、
ロッシーニ、ケルビーニ、ショパン、ドラクロワなど、
個性的な墓石ばかりです…亡くなってからもまるで競っているかのよう…、ショパンのお墓は丘の上にひっそりと建っています。
クレサンジュ作の穏やかな天使の彫刻にショパンは守られております…。

ペールラシェーズ墓地19世記頃

ショパンの遺髪
♬とても長くて柔らかそうな長い髪。
優しい性格が現れていかのよう…
私のブログを読んでくださった方は
覚えてみえるかも、パスポートの通り
ブロンドの髪です。
どうして、私がグレーに見えたか知りたい方は、どうぞ、一番下のところのコメント欄に
「どうしてですか?教えてください」と、
コメントいただきましたら、コメントにてお答えします。
オーギュスト・クレサンジュによる
フレデリック・ショパンのデスマスク
1849年:石膏ギプス(人工型から)
 23.5 x 20x13.5cm
クレサンジュは、ショパンが亡くなった
1849年10月17日に、ショパンの顔と手の形を取った。デスマスクのオリジナルはパリの国立図書館、ワルシャワの国立博物館、ワルシャワの国立博物館、ワルシャワのフレデリック・ショパン博物館とクラクフのチャルトリスキ美術館に所蔵されている。
こちらはショパン博物館所蔵。
♬こちらの感想は知りたい方は是非コメントください。



手はいろいろなレプリカの型がありますが、
こちらはショパン博物館所蔵のオリジナルです。作曲家でありピアニストでもあり、

♬感想は秘密…


♬ショパンの心臓は、
ショパンの遺言によりワルシャワの聖十字架教会の柱に埋め込まれました。
聖十字架教会は、私のブログを読んでくださった方は覚えていらっしゃるかしら??
フォンタナの父親が建築家でこの教会の設計に携わっていました。この運命をどう感じるかを知りたい人はコメントください。
全部、今、書けないので、m(_ _)m

そして、

ショパンの心臓は、1850年1月にショパンの姉ルドヴィカ・イェドルゼイェヴィチが、
秘密裡にワルシャワに運んだ。
ルドヴィカは夫と子供は先にワルシャワに返し、自分はひとりで大丈夫と言っていたが、
帰りはひとりではなかった…ワルシャワには、愛する弟と一緒に帰ったのでした。
ショパンの心臓を持ち帰ったルドヴィカを見たポーランドの人々はキリストが蘇るかのように見えたかもしれません。
ショパンの心臓が埋め込まれた柱は、1880年にショパンに捧げられた碑文の飾り板が発表され、そこには、旧約聖書による福音書の一節が刻まれている。
マシュー:「あなたの宝があるところに、あなたの心があります。」 
ショパンが好きだった言葉だと思いを馳せた。次回続く…。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです