フレデリック・ショパン、愛するフレデリックのために伯爵令嬢を狙うティトゥス…悪党はティトゥスだけではなかった、フレデリックを巡り金と色と欲が渦まく…

🎶ティトゥスの邸宅前のティトゥスとフレデリックとコンスタンツァア🎶
ティトゥスからフレデリックへの書簡は壊れかけていた友情がどうにか途切れることなく、また再開してゆくことになったのであった。
ティトゥスは姉が異父兄弟で父親がそれぞれ違うのだ。そして、ティトゥスとフレデリックが同性愛だったと言う説は決定的根拠はなく、書簡の言葉は幾様にもとれるのだが、
フレデリックがティトゥスをなぜののしらなくてなならなかったのか、
その答えは続きに示されて来た…
「昨日、ヴィンセント・スカルジンスキーと長い話をした。彼はあなたのことが大好きで
あなたのことをいろいろ聞かれました?
みんなオレシアのことは話してくれるけど、"彼女"のことは一言も話してくれないのです。」
彼女とは当時15歳のアロイザのことで、ティトゥスはこの8年後の1836年に
ポレティウォ伯爵の娘アロイザ・マルツャアンナ・ペトロネラ・アンナ・ポレティウォと結婚するのだ。
そして。オレシアとはアレクサンドラ・プルシャックのことだ。
フレデリックの友人達は、ティトゥスの恋のお相手はオレシャだと騙されていた。その話題をヴィンセント・スカルジンスキとフレデリックはしたのだ。
ヴィンセント・スカルジンスキ(1806−1876ボズナン)は政府委員会の工事部歳入財務担当課に勤めていた。(この後の11月
蜂起に参加1832年フランスへ亡命、
伯父のライムント・レンビリンスキの未亡人と結婚、未亡人アントニーナはティトゥスの異父姉。)
ティトゥスはアレクサンドラ・プルシャックと恋仲と噂されていた。姉はコンスタンティン・プルシャック。フレデリックは妹アレクサンドラにピアノを教えていた。
「あなたのことは一言も。その秘密が私の心の中に埋もれているのが嬉しいです。」
ティトゥスタが恋に落ちた女性のことだ。
それはアレクサンドラではなく、
アロイザのことだった。フレデリックは
誰も知らないティトゥスの秘密を知っていた。
「私の中にある深淵のようなものに、大胆不敵にすべてを投げ込むことができる。
まるで第二の自分になるかのように。
その底に長い間眠っていたのだから。私はあなたの手紙を、恋人のリボンのように大切にしています。
そのリボンは私が持っているから、私に手紙を書いてください。1週間後にはあなたに
会い私たちは抱き合うことでしょう。
 親友へ、
F.ショパン」
リボンとはティトゥスの秘密、その秘密の書簡は私が持っている。あなたの恋人はプルシャック貴族のアレクサンドラだと世間を煙に巻いて、実はポレティウォ伯爵令嬢を
ティトゥスは狙っていたのだ。
同性性愛は法律で禁じられている時代で、
世間からは認められない、お金にもならないし、このままでは大好きな、フレデリック・ショパンをティトゥスは食べさせていくことができないのだ。下級貴族だから金が足りないのだ。そのためには、伯爵令嬢と結婚して
フレデリックを支え続けなくてはならなかった。
フレデリックも自分に献身的なティトゥスのことが好きだった。だから、
成り上がるために嘘の恋愛を装っているティトゥスを悪党だ!と言ったのだ。
ティトゥスの思惑通り、みんなはまんまと騙されていたのだ。
フレデリックはティトゥスに書いた。
「秘密を私が守っているのです、ですから。また書簡を私に書いて送ってください。こんど会ったら喜び合って抱き合いましょう。」
と、フレデリックはやはりティトゥスが好きなのだ。
フレデリックは8月25日が名の日だった、
ティトゥスからお祝いの言葉か送金があっただ、フレデリックのお金の管理は姉ルドヴィカがしていたから、姉は姉ルドヴィカがティトゥスによろしくと伝えてほしいとのことを書き添えた。
それから、
「想像してみてほしい!Fが弟子にして欲しいと私に言うのです。
私の父は何も反対しないのです。   
彼女の家に行かされたこともあるのです。彼女は私に会いにも来るのです。
でも私は彼女に何の魅力も感じないのです。かわいそうに。」Fとは
ファレンスカ・エミリアのことで、彼女は才能もなく見た目もぱっとせず、フレデリックばお金をもらっても教えたくなかった。
彼女は才能が全くないくせにでしゃばりで嫌われていた。
フレデリックは自分は関わりたくないため、エルスネル先生のところに行くように彼女に勧めたが、エルスネルもまた、彼女を嫌っていた、最終的にドブジンスキにエルスネルは押し付けたのだが、それは同族同士だから気が合うだろうと、嫌がらせをしたエルスネル教授だったのだ…。
この程度の事は些細なことだと、フリックは、自分の悩みに比べたらどうでもいいことだと思っていた。
フレデリックは早くポーランドを出国しなくてならない苛立ちは変わらなかった。
コンスタンチア・グラドコフスカへの想いを断つことなど到底できないからだった。

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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