ショパンとシュナーベル

ショパンはポーランドを出国して当時ドイツ領であった

ヴロツワフ(1945年第二次世界大戦後にポーランド領になった)に立ち寄った。

ショパンはヴロツワフ劇場で喜劇オペラを鑑賞したあと、地元の音楽クラブに

シュナーベルの誘いでアマチュアが出演する音楽会のリハーサルに行った。

そこで、ショパンは恩師であるユゼフ・クサヴェルィ・エルスネル先生の大親友でヴロツワフ出身のドイツの音楽家ヨゼフ・イグナーツ・シュナーベルに会った。

ショパンの演奏を是非聴きたいとシュナーベルはショパンの手を取り強く懇願した。

ヴロツワフでは演奏しないとショパンは決めていたが、シュナーベルの頼みを断りきれず、

ショパンはわざわざ宿までシュナーベルの息子と馬車に乗り協奏曲2番の楽譜を取りに帰った。

そして、シュナーベルと人々に協奏曲2番のロマンスとロンドを演奏した。

(2番にロマンスは存在しないため、現在の1番の第2楽章と第3楽章を演奏したのであろう)

その晩の演奏会はショパンが主役の演奏会となり、

訪れたドイツ人の観客や地元の音楽家のさまざまな反響を見て取ったショパンであった。

ショパンの音楽を解ってくれたのはのヴロツワフの音楽通のひとりとシュナーベルだけで、その他のドイツ人は全く理解していないようであったとショパンは感じ取った。

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです  

0コメント

  • 1000 / 1000