ショパンとポーランドとの別れの詩

ショパン青年はワルシャワでデビューリサイタルを1830年に開いた後、

ポーランドを出国した。

ワルシャワでお別れの告別演奏会が開かれた。

ポーランドでカリシュに寄り、ベルリン、ドレスデン、ウィーンへ向かい、

その後、イタリア、フランス、を訪問する予定であった。

ショパンの遊学は多くの芸術家や親交のある人々がジェラゾヴァ・ヴォラから見送った。

別れ際に音楽学校の生徒達によって歌が歌われた。

 「ポーランドの大地に生まれし君が才、

  いずこにありても音に聞こえん

  ドナウ、シュプレー、テヴェレ、セーヌ、いずれの料理にあろうとも、

  故郷に喜びをもたらす魅力ある君の調べにより、

  愛しきマズルとクラコヴィアクのポーランドのしきたりどおり、広くつたえられんを、

  われらが民の歌を広め、そのまっとうなる同胞として、

  その栄冠を添えることにこそ、

  栄光の誇りも才能と努力のねぎらいも探すがよい 

  われらが国を離るといえど

  君が心はわれらとともにあり、君が才の思い出この地に永らえん、

  いずこにても幸あれ、われら皆心より祈らん」

ショパン青年はポーランドを出てからも、この時の歌と光景が苦しいときに思い出されたのであった。

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです  

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