88鍵の余韻~貴族社会とショパン~

ショパンが生きた時代はまだ貴族社会で芸術家の地位は低かった。そういう社会で作曲家は貴族のパトロンの庇護のもとで生きるしかなかった。
たとえ金持ちに気に入られても貴婦人達にとっては芸術家は退屈しのぎの遊び相手でしかなかった。

芸術家を擁護すること、それがまた貴族のステイタスでもあり、社交会の中で競って自慢することのひとつであった。

ベートーヴェンがそうであったようにショパンも貴族のパトロンを探して音楽活動をするしかすべがなかった。
ショパン(810-1849)の生きた19世紀初頭(西暦1801年から西暦1900年までの100年間)の過渡期はウィーンはまだ貴族社会だった。
パリは貴族社会は終わっていたためショパンは望みを持っていたが、パリも混迷の時代だった。
ショパンは諦めなくてはならない現実がいくつもあったが、それを音符に託すことで芸術は諦めなかった。
しかしながら、パトロンはいても、いなくてもみじめだとショパンもウィーンからパリへ移っても思い知らされる人生を辿ることになる。
ショパンはお金持ちとどれだけ付き合っても自分はそうはなれないことがマリアとの破局で知ることになる。
「あなたがショパンスキでなくて残念だわ」とマリアがショパンに言った。スキと最後に付く名前が高貴な家柄と言われていたからだ。
ショパンは自分の心はポーランドの精神世界に没頭することに生涯を捧げたのであろう。

ジョルジュ・サンド1804年7月1日 – 1876年6月8日

マリア・ウォジンスキ 1819年1月7日- 1896年12月7日

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです