フレデリック・ショパン〜舞踏音楽を超えたポロネーズ とは〜第二回

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さて、

昨年、ポロネーズの始まりについて書いた続きをお待たせしていましたね。


今日はその続きを書きたいと思います!(^_^)v

早速まいりましょ〜!


ポロネーズ はショパンの作品群の中で広く親しまれていています、誰もがポロネーズ の作品の中でどれかは聴いたことがある世界中で愛されている音楽の分野のひとつです。

そのショパンのポロネーズ のほとんどは、彼の独特な感性と祖国ポーランドへの深い愛情を反映しています。

ショパンのポロネーズには、子供時代の作品から成熟した時期の大作までが含まれます。

いずれも単なる舞曲の枠を超えた芸術性と感情の深さが魅力と言えます。

その中でも「英雄ポロネーズ 」はショパンの友人でドイツの銀行家でユダヤ人のオーギュスト・レオに捧げられた作品で、今ではポロネーズ作品の中で特に知られている曲となりました。

英雄という題名自体はショパンが付けた題名ではありませんが、英雄的で荘厳な印象的な左手のオクターブの連続が聴く者の気持ちを高揚させるのです。

昨今ではこのオクターブの激しい連続を力で押し通し暴れているかのような演奏が多くありますが、ショパン自身は穏やかに演奏していたと言われています。

これはショパンの健康上の理由とはあまり関連はないと私は考えます。

ショパン自身も弟子に激しく弾くように教えたという証言はなく、むしろ、ショパンは響きをコントロールし大音量や過度な打鍵ではなく歌うように表現することが彼の美意識でした。

また、ポロネーズ は本来、ポーランド貴族の宮廷舞踏でした。ワルツやマズルカのように速く回転したり跳ねたりする激しい動きはなく威厳と気品を持った穏やかな行進的な踊りで、民族の誇りや団結を象徴する儀式的な意味合いを持っていました。そのため、表面的には穏やかで優雅な動きの中に、内に秘めた強さや誇りが感じられる民族の繋がり団結を示す踊りなのです。

そして、ショパンの時代にはワルシャワでポロネーズ をポーランド人が踊ることが禁止されていました。その背景は、ポーランドが1795年の第三次ポーランド分割によって地図上から消え、ロシア、プロイセン、オーストリアに分割統治されていたためです。特にワルシャワは、ナポレオン戦争後の1815年にロシア帝国の影響下で「ポーランド立憲王国」として存続しましたが、実際にはロシアの支配下に置かれていました。

そのため、ポロネーズはポーランドの貴族文化とナショナル・アイデンティティの象徴であり、ロシアの支配者たちはポーランド人の民族的誇りを刺激するような要素を抑圧しようとしました。そのため、公式の舞踏会などでポーランド人がポロネーズを踊ることが禁じられたのでした。

しかし、この禁止は形式的なもので、秘密裏にはポロネーズを踊ったり、音楽として演奏したりすることは続いていました。また、ロシア人貴族たちはポロネーズの華やかさを好み、自分たちの舞踏会では踊っていたという矛盾もありました。

このような歴史的背景があるため、ショパンのポロネーズには単なる舞曲以上の意味があり、中でも英雄ポロネーズ はポーランドの独立への願いや抵抗の精神が込められていると言えましょう。

しかし、英雄ポロネーズ の題名はショパン自身が付けたものではなく、ショパン自身は題名を付けることで自分の意図したこととは違う誤った解釈で演奏されることを嫌っていました。ショパンが出版社に交渉する時点で題名は付いてはおらず出版された時点では題名が付いています。

出版社が売れるためにショパンの意思に反して題名を付けることはよくありました。また、サンドがこの曲を聴いて「英雄的だ」と叫んだという記録や弟子が英雄とこの曲を名付けたなどとも言われていますが確かな真相は不明です。

そして、この激しく弾く解釈をショパンが望んだかは確証はありません。 

しかしながら、ドラマチックな展開は、特徴的なポーランドの誇りと精神を象徴する作品と言えるでしょう。

この曲は、ポロネーズという舞曲の形式を超えて、一種の民族的・愛国的な性格を持っています。

また、ショパンはポロネーズを単に過去の形式を踏襲するだけに留まらず、ショパン自身の詩的な感性と技術を駆使して、より洗練された構造と豊かな情感を更に作品に与えました。

たとえば、「ポロネーズ第7番変イ長調 作品61」(『幻想ポロネーズ』)は、伝統的なリズムを保ちながらも自由な形式と幻想的な要素を加えた独創的な作品となっています。

この曲は、舞曲としてのポロネーズの範疇を越えており、内面的な世界や叙情的な美しさを描き出している傑作です。

つまり、ショパンのポロネーズは、単なる舞踊音楽ではなく、時には英雄的で、時には深い内省を伴うものです。

このようにポロネーズ 作品は、ポーランドの伝統とショパンの個人的な感情とが見事に融合した

結果生まれた作品群です。ショパンの作品の中でも特にポーランドへの思いが色濃く反映されていると言えるのです。

さらに、ショパンの功績はピアノという楽器を最大限に研究しポロネーズの可能性を拡大しました。

ショパンのポロネーズは、力強い和音や流麗なパッセージ、そして巧みなリズム処理などを通じて、ピアノ演奏の新たな地平を切り開いたと言う凡ゆる点でショパンは

「ピアノの詩人」という名だけではなく、ショパンはピアノの機構自体をプレイエルと共に研究した開拓者でもありました。彼は自分が書いた曲が効果的に演奏出来て、理想的な美しい響きが効果が生まれるようにプレイエルに助言をしました。そのためプレイエルピアノにはショパンの考えがは入っていると言えるのです。

ショパンはポロネーズ をプレイエルピアノで左手のリズムを三拍子の舞曲としての性格をしっかりと保ちながらも、しなやかで生き生きとした自然な動きを生み出したかったのではないでしょうか。

このように、様々な視点から、ショパンのポロネーズを考察するとショパンのポロネーズは、単なる舞踊音楽を越えた深い芸術作品であることに、私は深い感銘を受けるのです。

これらのことを考察すると、ショパンの生きた時代を理解しショパンの愛国心や、ショパンのとても個人的で内省的な感情を理解することはとても難しいことです。

しかしながら、現代を生きる私達にもその音楽的な豊かさに気づかされた時、初めてポロネーズと言うものに心を傾けることならできるかもしれません。

それは、ポロネーズという形式がもつリズムの魅力だけでなく、ショパンがその中に込めた感情や愛国心だけではなく、現在の私達にも通ずる人間の普遍的な感情や感動をも表現しているからにほかならないからです。


今日は、ここまでにいたしましょう。

皆様、ここまでお付き合いいただき、感謝いたします。

この続きはまた、ふとした時に綴ることにしましょう。

その日をどうぞお楽しみに!


では、また、Pianist由美子UNO

ピアノコンテンツでお会い致しましょう!

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1780年ポロネーズの衣装を着たパリの貴族の貴夫人

ボストン美術館所蔵

18世紀ポロネーズの衣装を身にまとう貴族の貴夫人たち

楽譜の表紙を飾った

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです  

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