ショパン、パリの仲間リストの母

ショパンの作曲家仲間のリストはパリでのタールべルクの活躍に危機を感じ、

愛人のマリ・ダグーとの旅行先のスイスからパリへ戻る途中だった。

5月12日、ショパンにリストの母であるアンナから連絡が入る、それは息子のリストが

アンナに「Mama、僕はショパン君に会いたいのだが、ショパン君は会ってくれないのだよ、

だから、Mamaからショパン君に僕が会いたがっているよ、と伝えてもらえませんか」

ショパンの家に入り浸れなくなったリストは、母親を使ってなんとかショパンに会えないも

のかと考えたのだ。

リストはパリに戻ったらショパンにタールベルクの攻略方法をショパンに相談したかったのだ。

当時、リストの母親アンナはパリでリストの愛人ダグー伯爵夫人との間に長女のブランディ

ーネ (1835~1862) 次女のコージマ・フランチェスカ (1837~1930)、長男の

ダニエル・ハインリッヒ (1839~1859)の三人の子供を世話していた。

リストはもしかしたらマザーコンプレックスだったのだろうか、リストは当時既に父親を15

歳の時に亡くしていて、一人っ子だったリストは母親がすべてだった。

リストは、ショパンに他の仲間にも会えるように母アンナに伝えるように頼んだ。

リストMamaも両親を早く亡くしていて、一人息子が可愛かったのであろう。

アンナは溺愛する息子のためにショパンに息子と会ってリストの作曲を手伝ってタールベル

クの攻略方法をショパンに伝授してほしいとお願いした母だった。

リーエ・アンナ・リスト

(1788年5月9日 - 1866年2月6日)作曲家フランツ・リストの母

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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