ヴォジンスキ夫人は娘のマリアとポーランドのスルゼーヴォにいた。
そこは、ヴォジンスキ家の領地であった。
ショパンを「フレデリック」と呼び捨てにしていたヴォジンスキ夫人、それに対して下僕の
立場のショパンは「奥さま」と呼んでいたフレデリックである。
ショパンはその頃、スペインのパンプロナにいた。
旅先のスペインからアントニイの名前
を封筒に書いて実は中身はショパンが書いた文章をイタリアのヴォジンスキ夫人に送った。
感を買っていることに気がつき恐怖で震え上がったのである。ショパンとしては逆らったつ
もりはなかった。
家仲間との断れない上下関係の付き合い、自身の創作活動、日常的に行われる夜会での演奏会、そしてマリア以外の令嬢のレッスン、とにかくショパンは休みたくても休めなかったのである。
これは家族の危機なのである。ショパンが革命派と断定されるということはショパン自身も二度とポーランドの土を踏めなくなるのだ、そしてショパンの家族どうなるかわからない。
恐ろしいことが起きないことを祈り、ショパンはヴォジンスキ夫人に宛ててお詫びと、
ヴォジンスキが示唆していることは単にスリッパを履かないフレデリックが気にいらないということではないのである。
11月蜂起後もロシアの支配下にあるポーランドである、ヴォジンスキ家はロシア寄りのポー
ランド貴族であるのだ。(コンスタンチン大公とつながっている有力者には、
銀行家のスカルジンスキがいたショパンが子供の頃からの懇意)
アント二のことを心配しなくても大丈夫ですとショパンは夫人に書いている。
フェリックスの結婚式を称えるショパンは、自分の両親がその場所で夫人に息子を宜しくと言っている光景を思い浮かべ彼らのことが心配なのだ。
この手紙をアント二イの署名で送ることで夫人への返答が誠意あるものであることを信じてほしいとショパンはヴォジンスキ夫人に強調した。
ショパンはヴォジンスキ夫人の希望どおりに新しい小品を書いて送る事を約束した。
そして、
ショパンはこれからレッスンに出かけるので忙しいと言い訳とお詫びをしながらも、
「私は奥様のことは尊敬し、嘘は言っていません。
スリッパのことは履いています。
私は演奏しているときにたそがれ時のことを思い出します。
あなたにショパンは献身していきます。」ヴォジンスキ夫人に必死で誓った可哀そうなショ
パンだった。
しかし、ヴォジンスキ夫人はショパンと親交を深めながらも、実は有名な詩人のユリウス・
スウォバキと既に毎年のようにスイス旅行を楽しんでいたのだ。
ヴォジンスキ親子は有名な芸術家と二股をかけてでも付き合う目的はマリアが社交界で名声
を得るためだった。
現代の売名行為のようなものだ。ヴォジンスキ夫人はユリウスに自分の娘を題材にして恋愛
詩を書かせていた。それはショパンにしていることとほぼ同じであるようなものだ。ショパ
ンにもマリアと恋愛して曲をマリアのために書いたということにしたいヴォジンスキ夫人だ
った。社交界で一番の女になりたいという、負けず嫌いの貴族のお嬢様と夫人の願望といっ
たところか。
Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景
Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです
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