ℱ・ショパン最後のワルシャワ1830年運命の夜に奏でた第二楽章のラブレター
1830年10月11日、ワルシャワ。 若きフレデリック・ショパンは、住み慣れた故郷を、そして愛する人々を後にする直前の「運命の夜」を迎えていた。
フレデリック・ショパン青年は、カロル・クルピンスキとの絆、そして密かな恋の別れがそこにあった。宿命の指揮者であるクルピンスキの導きでフレデリックはワルシャワの夜を迎えていた。そこはワルシャワ劇場の舞台裏、冷たい手をこすり合わせながら、フレデリックは重鎮カロル・クルピンスキの背中を見つめていた。クルピンスキは当時、ワルシャワ国立劇場の総監督であり、ポーランド音楽界の頂点に立つ人物だった。彼は、この才能あふれる青年が、狭いポーランドに留まるべき器ではないことを誰よりも理解していた。
「フレデリック、準備はいいか。君の音楽は、君一人のものではない。我々の祖国の誇りだ」
クルピンスキの厳格だが温かい眼差しが、フレデリックの強張った心を解きほぐす。演奏会の幕開け、クルピンスキの指揮による交響曲が劇場に鳴り響いた。それは、伝統が新しい才能を迎え入れるための、荘厳な儀式のようだった。
やがてフレデリックが舞台に立つ。満席の聴衆、シャンデリアの輝き。しかし、彼の視線はある一点に固定されていた。
それは、秘めたる恋人のコンスタンツィアの白い影・・・
客席のどこかに、コンスタンツィア・グラドコフスカがいる。 彼女はショパンの初恋の人であり、フレデリックと密かに指輪を交換した恋人で将来を期待される清廉なソプラノ歌手。フレデリックは親友ティトゥスへの手紙に「私の理想の人(Ideal)」と記し、彼女への憧れを音楽へと昇華させていた。
今夜演奏する『ピアノ協奏曲第1番 ホ短調』の第2楽章「ロマンス」は、まさに彼女との密の恋から生まれたものだった。
「昨日のコンサートがとてもうまくいったことを、急いでお知らせします。あなたにお伝えしたいのは、私は少しも緊張していなかったということです。会場は満席でした。クルピンスキの交響曲から始まり、私はホ短調協奏曲のアレグロを弾きました。」
翌日、親友ティトゥスへ宛てたこの手紙の通り、フレデリックはかつてないほど冷静だった。 なぜなら、彼の心はすでに、満席の聴衆への恐怖を超えていたからだ。これから始まる孤独な亡命生活への不安、そして何より、「今夜の演奏が終われば、もう二度とコンスタンツィアの歌声を聞くことも、その姿を見ることも叶わないかもしれない」という絶望的なまでの苦悩。その痛みがあまりに強すぎて、舞台での緊張など、風に吹かれる羽毛のように軽いものになっていたのだ。
第1楽章「アレグロ」が終わり、第2楽章に入ると、フレデリックはピアノの鍵盤を撫でるように弾き始めた。それは音楽による、コンスタンツィアへの最初で最後のラブレターだった。
傍らで指揮棒を振るクルピンスキは、フレデリックの打鍵ひとつひとつに込められた異常なまでの情緒に驚愕していた。オーケストラを控えめに、繊細に制御しながら、彼は確信した。「この若者は、今夜、魂を削って弾いている」と…。
演奏が終わった瞬間、劇場は静寂ののち、雷鳴のような喝采に包まれた。
演奏会から数日後、いよいよワルシャワを去る時、クルピンスキや友人たちはショパンの生まれ故郷のジェㇻゾヴァ・ヴォㇻ の村の境界まで見送りに来た。そこで、クルピンスキの指導のもと、友人たちはフレデリックにある贈り物を手渡した。
それは、「ポーランドの土」が詰められた銀の盃だった。
「フレデリック、どこへ行こうとも、この土を忘れるな」
クルピンスキの言葉は、単なる師の言葉ではなく、父のような、あるいは戦友のような響きを持っていた。コンスタンツィアへの想いを胸に秘め、クルピンスキに背中を押されるようにして、フレデリックは馬車に乗り込んだ。
彼のポケットには、ティトゥスへ宛てた手紙の続きが忍ばされていた。 「私は舞台で上がるなどという次元にはいなかった。ただ、私の強さを、そしてこの音楽を、世界へ届けなければならないのだ」信仰の深いフレデリックは神に誓い、そして心に強く誓った。
こうして、ひとりの青年は「ポーランドのショパン」から「世界のショパン」へと変わる旅路についた。その旋律の影には、巨匠クルピンスキの深い理解と、届かなかった恋の記憶が、永遠に刻まれている。
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