ℱ・ショパン《ドレスデン、プラハを経てウィーンに到着、ふたつの指輪の心の避難所》
1830年秋、ワルシャワの門をくぐり、異国の冬へと向かったフレデリック・ショパン。その旅路には、指先を温める二つの指輪と、胸を締め付けるような一編の詩、そして決して消えることのない屈辱の記憶が刻まれていた。
第一章:誓いの指輪と「忘れないで」の詩
1830年11月2日。ヴィラヌフの検問所。馬車が動き出す直前、フレデリックは自分の指に光る指輪を見つめていた。そこには、最愛の人コンスタンツィアと秘密裏に交換した、彼女の母の形見である指輪がはめられていた。代わりにフレデリックからは、祖母から譲り受けたダイヤモンドの指輪を彼女に託し二人は教会で秘密の結婚を誓い合ったからだ。
そして、彼の鞄の奥深くには、彼女が書き記した一編の詩が収められた記念帳がありました。
「あなたがどこへ行こうとも……ここには、あなたのために常に燃え続ける、親愛なる心があることを。忘れないでください」
彼女が贈った「忘れないで(Pamiętaj)」という言葉は、フレデリックにとって救いであり、同時に逃れられない呪縛ともなった。彼は馬車の窓から遠ざかるワルシャワを見つめながら、その詩を何度も何度も心の中で繰り返した。
第二章:姉の温もり、そして「1,000ドゥカート」の棘
馬車が揺れるたび、これから始まる未知の旅の不安に駆られそうになった時、フレデリックはもう一つの指輪にも触れながら見つめていた。それは、最愛の姉ルドヴィカが、自らの髪の毛を丁寧に編み込んで作ってくれた指輪だ。
「僕は時々、ルドヴィカが自分の髪の毛で編んでくれたあの指輪を眺めている。離れれば離れるほど、それが僕にとってどれほど大切かがわかってくるんだ」
家族の愛。それは、異国の冷たい風にさらされるフレデリックにとって、唯一の心の避難所なのだ。 しかし、その温もりに浸ろうとするたび、あの告別演奏会の夜にジエリンスキーから投げかけられた冷酷な言葉が、泥を投げつけるようにフレデリックの脳裏に蘇るのだ。
「あの音だけで、1,000ドゥカートの価値がある。彼女はロシア人に売られていくだろう」
自分の「理想」が金貨で値踏みされ、ロシアという巨大な胃袋に飲み込まれようとしている。その屈辱に比べれば、舞台の緊張など微々たるものでした。彼は姉の髪の指輪で心を落ち着かせ、恋人の指輪を握りしめて、自分を汚そうとする現実から必死に目を背けようとしていた。
第三章:ブレスラウの洗礼と「予期せぬ成功」
11月9日、最初の滞在地ブレスラウ。フレデリックはここで、ドイツ風の厳格な音楽界に直面します。当初は静かに通過するつもりでしたが、音楽監督シュナーベルに強引に舞台へ引き上げられました。
「僕はここで、図らずも演奏することになってしまいました。それは全く予期せぬ出来事だったのです」
彼は家族への手紙にそう記した。ドイツ人たちの冷ややかな品定めの視線。しかし、ワルシャワで屈辱と別れを経験したフレデリックは、もはや「上がる」ような若者ではありませんでした。 彼はホ短調協奏曲のロンドを、繊細かつ強靭に弾き切りました。シュナーベルは彼の演奏に心酔し、何度も彼の手を握り、キスを贈った。
「僕の軽いタッチ(繊細な打鍵)が、重厚な音を好むドイツ人たちを驚かせたんだ」
フレデリックはわずかな誇りを感じたが、その成功を報告する手紙の端々には、「早く僕を名前で呼んでくれる場所へ帰りたい」という、独り立ちしたばかりの無名の青年の孤独が滲んでいた。
第四章:凍てつくウィーンと蜂起の悲報
ドレスデン、プラハを経て、11月22日。フレデリックはついにウィーンに到着します。かつての喝采が嘘のように、この街は彼に冷淡だった。人々はシュトラウスのワルツに熱狂し、遠くポーランドの苦難には目もくれないからだ。
そして、運命の11月29日。ワルシャワで「11月蜂起」が勃発。
「私はなぜここにいるのか! なぜ武器を手に取って戦っていないのか!」
宿の一室で、彼は狂ったように自問自答しました。 コンスタンツィアは無事か。家族は。 ジエリンスキーの予言通り、彼女は戦火の中でロシアの手に落ちてしまうのではないか。 彼は「忘れないで」という詩のページを握りしめ、その激しい思いを5線譜に託したのだった。
結び:銀の盃に誓う「詩」
ウィーンの暗い夜、フレデリックはヴィラヌフで受け取った「銀の盃」の中の土に触れました。
家族がくれた髪の指輪は、彼に「帰るべき場所」を思い出させていた。コンスタンツィアと交換した家宝の指輪は、彼に「守るべき理想」を繋ぎ止めた。 そして彼女の詩は、彼に「音楽で戦う」という唯一の道を示したものだった。
「昨夜、私は緊張しなかった。それは、僕が絶望の深淵にいたからだ。でも、これからはこの絶望を旋律に変えてやる」
ワルシャワを去った時、フレデリックはまだ「神童」だった、しかし、この旅路で屈辱と愛を噛みしめたフレデリック・ショパンは、「亡命の詩人」の道を歩んでいくこととなったのだ。
馬車の中で指輪を見つめるフレデリック・ショパン*イメージ画像*この画像はコピーガードが施されています
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