ℱ・ショパン「魂の死と再生」1831年9月:シュツットガルトの回想《絶望のクロニクル》
1831年9月、フレデリック・ショパンがシュツットガルトで経験した「魂の死と再生」は、彼の音楽史上、最も壮絶な出来事だった。
フレデリックが残した震えるような筆致の日記(シュツットガルト日記)の内容は、ショパンの脆(もろ)くも気高い性質を顕にした。
1. 運命の報せ(1831年9月8日〜10日)
ウィーンを離れ、ミュンヘンでの演奏会を終えたショパンは、パリへの旅の途上、ドイツのシュツットガルトに滞在していた。
そこで彼は、最悪の報せを耳にする。「9月8日、ワルシャワ陥落」。ロシア軍が故郷を完全に制圧したという事実だった。
彼の体躯は非常に華奢でした。身長は約165cmほど、体重はわずか45kg程度しかなかった。その細い体が、ニュースの衝撃で激しく震えた。
2. 狂気のエクリチュール(シュツットガルト日記)
ホテルの部屋に閉じこもったショパンは、狂わんばかりの苦悩を日記に叩きつけた。
この「シュツットガルト日記」は、普段の社交的で控えめでエレガントなフレデリックからは想像もつかない言葉で埋め尽くされた。
「神よ、あなたは存在されるのか! 存在するのに復讐なさらないのか! ロシア人の罪はまだ足りないというのか!」
「父さんは死んだのか?
母さんは? 妹たちは?……
もしかしたらロシア兵が家を焼き、家族を惨殺したのではないか!
コンスタンツィアはモスクワの連中の手に落ちたか!殺されそうに…
ああ僕の命よ!」
フレデリックは自分の無力さを呪った。
友人たちが戦場で血を流している時、自分は遠く離れた地でピアノを弾いている。
その矛盾がフレデリックの心を切り裂いた。
「僕はここで何をしている? なぜ自分は死ななかったのか?」
この時の絶望から、激流のように駆け降りる『革命のエチュード(作品10-12)』の着想が生まれた。
3. パリへの強行軍(1831年9月中旬〜下旬)
精神の崩壊寸前だったショパンを現実に繋ぎ止めたのは、皮肉にも「前へ進むしかない」という孤独な決意であった。
彼は泣き腫らした目で馬車に乗り込み、フランス国境を目指した。
この時、彼のポケットには、かつてドレスデンでテレーザ・ヴォジンスカ夫人から託された「パリの有力者たちへの紹介状」が密かにしまわれていた。
「故郷は死んだ。ならば、自分はパリでポーランドの魂を永遠に響かせる存在にならなければならない」
それは、甘い夢を抱いた青年の旅ではなく凄絶な覚悟を伴う旅路となった。
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