ℱ・ショパン《張り巡らされた操り糸(マリオネット)仕組まれた盤面と三通の手紙》
第一章:閉ざされた門と、見えない檻
1830年代初頭、冬の瑞々しい空気と馬車の排気音に満ちたパリ。
安宿の一室で、フレデリック・ショパンは机の上に並んだ三通の手紙を凝視していた。
すべて同じ消印、同じ日、故郷ワルシャワから一斉に投函されたものだ。
机の傍らには、故郷から携えてきたマスカットのジャムの瓶が置かれている。その透き通った甘さは、今や自分を遠隔操作しようとする大人たちの、執念深い思惑そのもののようだった。
まず、父ニコラの素朴な文字が目に飛び込んでくる。
「お父さんは音楽のことはよくわからないが、お前には十分に教育を受けさせてある。だから、カルクブレンナーの言う『3年間の修行』などというのは、本当は必要ないのではないかと思うのだが……」
それはフランス人でありながらポーランドへ渡り、自らの足で家庭と地位を築いた男の、混じり気のない親心だった。同時に、エルスネルというワルシャワの権威に大金を払い、最高の教育を息子に授け終えたという、父親としてのプライドの証明でもあった。
続いて、姉ルドヴィカの筆跡を追う。
「カルクブレンナーさんは素晴らしいお方だと思います。けれど、あの人があなたに『3年の修行』を条件に出したと聞いた瞬間、エルスネル先生は声を荒らげ、
大声で『それは嫉妬に違いない!』と激怒されたのです。そして、すぐに自分の考えを手紙に書いてフレデリックに送る、と血相を変えて筆を執られました」
(激怒し、すぐに筆を執った……?)
ショパンは奇妙な胸騒ぎを覚えながら、最後に残ったエルスネルからの手紙を開いた。ルドヴィカの言葉通りなら、そこにはカルクブレンナーへの激しい怒りや、弟子を守るための熱い言葉が並んでいるはずだった。
しかし、そこに綴られていたのは、拍子抜けするほど冷淡で、不自然なほど「計算された」文章だった。
「カルクブレンナー氏に、君が親切にしてもらっていると聞いて、私は大変嬉しく思っています」
手紙はそんな白々しい挨拶から始まっていた。激怒したはずの男の筆致ではない。
「ただ、3年間という期間を聞いて、私は驚いています」
エルスネルは単に「驚いた」とだけ書き、そこから先は言い訳のような自己弁護に終始していた。自分はフレデリックに音楽の基礎を十分に教え込んだ。だから、君がパリでそんな条件を突きつけられたとしても、それは私の教育に不備があったせいではない——。
さらにエルスネルは、冷酷な本音を行間に滲ませる。
「結局のところ、基礎の先にあるもの……つまり個人の持つ真の才能というものは、他人の模倣で埋められるものではない。それ以上を学んだところで、無駄というものだ。その点、カルクブレンナー氏には模倣ではない独自の才能がある。彼は素晴らしい人物だ」
修行を勧めるでもなく、反対するでもない。
カルクブレンナーを褒めつつも、ショパンに対しては「これ以上学んでも無駄(才能がなければそれまでだ)」と突き放す。
ショパンは凍りついたように動けなくなった。
表向きはニコラの「友人」として振る舞いながら、その裏で激しいライバル心を燃やしていたエルスネル。この手紙は、ニコラへの痛烈な当てこすりだったのだ。
「ニコラ、お前がどれだけ父親の義務を果たした気になっていようが、息子の真の才能の限界は私のあずかり知らぬことだ。もし彼がパリで挫折したなら、それはお前の血のせいだ」
エルスネルは、ショパンを自分の最高傑作として世界に見せつけたい一方で、自分を追い越して自立していくことは絶対に許せなかった。だからこそ、カルクブレンナーという外敵を利用してショパンを宙吊りにし、どちらに転んでも自分の名声が傷つかないよう、完璧なアリバイ(免責)を仕組んだのだ。
カルクブレンナーがショパンのコンチェルトの自筆譜に無遠慮に引いたあの「削除線」。
それは、かつてワルシャワを出発する前、エルスネルが「長すぎる」と難色を示していた箇所と、奇妙なほど完全に一致していた。
「あいつは言うことを聞かないから、あの部分は削除しろと、
先生、貴方があらかじめカルクブレンナーに裏で指示を出していたのではないか?」
頼るべき大人の誰もが、自分を駒として扱っている。
激しい拒絶の予感に突き動かされるように、ショパンは外套を手に取り、部屋を飛び出した。
向かう先は、パリ音楽院。この街の権威が何を企んでいるのか、自らの目で確かめるために。
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