F・CHOPIN、ショパン、独房から出版の営業活動
ショパンは、フォンタナに指示した通り、同じ日にプレイエルに≪プレリュード集≫を送ることをピアノの礼状として書いた。
そして、プレイエルのピアニーノで曲を書き上げたことへのお礼を書いたショパンだった。
ショパンは、プレイエルが送ってくれたアップライトピアノを使って別棟の小屋でプレリュード集を完成させた。そして、悪天候のパルマだったが、ピアノは海を渡っても完璧な状態で到着したのだった。プレイエルから送るときの梱包が良かったのか、ピアノの性能が良かったのかであろう。ショパンにとって悪魔の国パルマ(ショパン曰く)でさえ、ピアノを味方に付けたショパンには神の配慮とお与えがあったのだ。
ショパンはフォンタナに書いたように、直接プレイエルに手稿送るのではなくフォンタナからプレイエルに手渡すよう指示がしてあることをプレイエルに伝えた。
ショパンはそれほどフォンタナを信用していたのだった。
ショパンはプレイエルに「フランスとイギリスの出版権にプレリュード集に1,500フラン(現在の約150万円)を請求した。そして、ショパンの楽譜の出版権を、プロブストはドイツの版権を1,000フランでブライトコップフに渡した。 午前1時にロンドンのウェッセル社との契約が切れたから、新たに契約金を釣り上げ≪プレリュード集≫をもっと高い値段で買ってもらうことが出来ます。
他にも考える事があるのですが、フォンタナへ支払って貰うお金のことは、 '私はあなたの名前で請求書を書きたくありません。
パルマには銀行家がいないのです。あなたがプレリュード集の出版者になることを決めたのですから。」そして、ショパンは付け加えた。
「私のとても親愛なる友人、私の出版社であるという責任をあなたが引き受けるためには、
私には、その他の原稿もあります。
一つは、≪バラード≫これは私のドイツのプロブストとの契約の一部です。
≪バラード≫私はフランス版とイギリス版の権利を1,000フラン(100万円)に求めています。
二つ目は、 2つポロネーズを世界の国々の版権を1,500フランで買ってはいかがでしょうか。
3つ目に、スケルツォ3番を価格をポロネーズと同じ条件でどうですか。
あなたさえ買うことを契約すれば、この全作品をあなたに送ります。」
ショパンの計画では毎月、作品をプレイエルに送ろうと思っていた。ショパンはこの計画はフォンタナを通して進めていた。
それはプレイエルの都合でもあったようだ。パルマの島の郵便事情の悪さはショパンの
悩みの種だった。
ショパンはプレイエルに言った。「パリから便りが私に届くには3か月もかかるのですよ」
恐らく3か月は誇大表現で、これは、誰も何も言ってこないことへの抗議と早く返事出してほしい意味もあった。
カミーユ・プレイエルは1831年ベルリオーズの婚約者だったマリー・モークと結婚したが、
その後は離婚して、イギリス人のエマ・オズボーンと事実婚の状態だった。そのような事情をショパンは知っていた。そして、新年の挨拶として、エマ・オズボーンにも「よろしく伝えてください」と、プレイエルのご機嫌を取ったショパンだった。
そして、返事は長く長く書いてくるようと期待を込めてプレイエルに伝えたショパン。
プレイエルとの出版の交渉が上手くいくかでショパンが早く独房から出れるかが掛かっていたのだ。このお金はショパンに入るお金ではないのだ。
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