F.CHOPIN、ショパンの胸像とアント二イとロゼール
出版社との交渉は仲介業者を省き、ショパンとフォンタナの二人で順調に進めていた。
トルーペナスに関しては、300フランで≪タランテラ≫を買い上げてもらったショパンだった。
親友の外交職員のアルブレヒトからの手紙もフォンタナがパリからノアンに送ってくれてショパンは喜んでいた。
「デッサウアーがパリに帰って来ているのなら、メフェッティに連絡する方法を聞いてみて下さい。金銭的な問題の内容の手紙がオーストリアのどこかで紛失なんてことにならないようにしたいのです。」当時の郵便事情が信用ならないということではないのであろう。
ショパンが革命家のリストに挙げられているという不安がまだあったのであろう。
ショパンは出版社のメフェッティに≪幻想曲≫を提供しようと新たに考えていた。
それから、ユダヤ人のロス博士のところへ行って僕の手紙を届けてください。そして、彼が
トカイワインが入手できると話していたら、値段を聞いてください。そして、それを早急に送ってもらうようにマルセイユへお金を送ってください。」ショパンはマヨルカ島以来、健康のために飲酒を絶ってホットミルクを飲んでいたはずであった。サンドが飲むのか、出版が上手くいき収入を得て気が大きくなっていたのか・・・。
フォンタナに気をよく頼みごとを引き受けてもらうためにショパンは言った。
「君は効率的で几帳面です。それが僕が君に仕事を積み重ねて頼む理由です。
これまでのところ、君は僕の要望のすべてを見事に達成しました。」
ショパンはフォンタナを労い持ち上げたところで、タイミングを見計らってショパンは切り出した。
「しかし、今日僕は君からの手紙(現存せず)を読みました。
君の手紙の中で僕がひとつ不快に思ったことがあるのだ。それは、率直に言って僕を不快にさせたのだ。
勿論、君は僕が不快になるなど意識してやったことではないことはわかります!
しかし、君は僕に無断でアント二イに僕の胸像をあげてしまったのだ。
彼は既に僕の胸像を持っているからとか、あるいは、僕が僕の胸像が必要としているからではない。または、胸像に何か大事な印がついていたからとかではないのだよ。ですから、
もうひとつ、ダントンに僕の胸像を注文する必要はないよ。
僕が言いたいことは、アントニイがポーランドに帰国してポズナンに持っていったら困ることに僕がなるのです。
アント二イが僕の胸像を見せびらかして、そこから新たなおしゃべりが始まり、奇妙な噂が広まるのです。僕は今までいやというほど経験して来た。僕がアント二イに何一つとして
仕事を頼まない理由です。」ショパンの理由は本当はそれだけではなかった。
アント二にパリでお金をたかられていたり、マリアとの結婚詐欺のことや、
言いたいことはいっぱいあった。
しかも、今ではロゼールというおしゃべりな恋人がアント二イには付いているのだ。何を言って触れ回られるかわからないのだ。
そして、なによりも家族思いのショパンにとって腹立たしいのは、ポーランドの両親にはまだ胸像を見せてもいないのだ。
両親を喜ばせるために会うタイミングを待っていたのだ。両親が最愛の息子のショパンからではなく、よりによってヴォジンスキ家のアント二イから見せびらかせられたときの両親の心境を思うとショパンは、居てもたってもいられない気分なのだ。
両親に僕がアントニイにあげたのでないよと説明しても信じてもらえるか・・・ショパンは不安だった。
ショパンは「最初に僕の胸像を受け取るべき人は僕の一番大切な両親」であることをフォンタナに説明した。
そして、ヴォジンスキ一家にとってショパンは「たかが一ピアニスト、または下僕としか思っていないのだ」ということをフォンタナにはわかったおいてほしかったショパンだった。
しかし、世間ではそうは見られておらず、ヴォジンスキ家のお金が目当てで、若いマリアをそそのかしたショパンがヴォジンスキ家=マリアにふられたと思われているのだ。
事実は全く違っていて、ヴォジンスキ家ほどケチな貴族は他にないほどで、ショパの物を奪うことしかしなかった。マリアの事もヴォジンスキ家の見栄でしかなく、ショパンはその関係性もショパンのほうが地位が低いため、そして、ポーランドの両親が人質であるためヴォジンスキ家のことをショパンの口からは世間に話せないのである。
フォンタナに「デリケートな問題だからかきまわさないでくれ」と伝えたショパン。
そして、フォンタナに悪気はないことはショパンも理解していることをフォンタナに付け加えて話した。
「これらは非常に繊細な問題であるが、支障はないから、君は気にしないでくれ。
このことはこれで終わりです。君は自分を責めないでください。…」
ロゼール譲のことは「彼女はお人好しだが、思慮深くなく、分別の全くない女であり、
アント二イとべたべたして、他人の仕事に鼻を突っ込む女です。
僕たち自身彼女は耐えられない古い雌豚なのです。バラの茂みに鼻づらを突っ込んでフランスのキノコを探してブウブウ言っている豚です。
彼女はずっと遠ざけておくべき生き物です。ロゼール譲が少しでも関わったことは、すべてが誤った形で広まります。彼女が触れたことは何も前例のない軽蔑をもたらすのです。
世間でいう結婚できない古い家政婦です。僕たちのような独身男性の方がはるかに優れています。
それから、使用人のチャールズには、彼が僕の奉仕にどのくらいの期間携わっていたいか尋ねてください。
喜んで僕は彼の身元保証人を引き受けてあげようと思う。彼には親切にしてやってください。マッシンスキにはまた改めて書きます。
マッシンスキを抱きしめてあげてください、君の愛情を僕にください。」
ショパンは胸像のことは心底腹立たしかったのだ、しかし、フォンタナのことは大事だった。ショパンは冷静に事を対処したのだった。
1841年制作
フォンタナは、ジャン=ピエール・ダンタンが制作したショパンの小さな胸像をヴォジンスキ家のアント二イに与えました。ジャン=ピエール・ダンタンは、ショパの細部まで似顔絵を描き、古典的で純粋な理想的に美しい顔の表情を表現しました。ショパンはこの胸像を家族に贈っていませんでした。そしてショパンは、この胸像をヴォジンスキ家にあげるつもりはありませんでした。
ショパンはこのことで数週間いらだち気分を害しました。ヴォジンスキ家のとの争いは解決されませんでした。
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