F.CHOPIN、ノアンでサンドの準備とは

パリのサンドの部屋で4月20日にマッシンスキが亡くなってから3週間経っていた。

5月に入り、ショパンはサンド一家とノアンに来ていた。ある日、サンドはパリにいる娘の家庭教師のロゼール譲に、急ぎの使いを頼んだ。

「至急!手配するべし!あなたの大先生ショパンはパリを発つとき忘れていたのです。

彼は、ノアンでの使用人のフランポワーズにパリのお土産を買ってノアンに持ってくるのを忘れたのです。彼は、プレゼントをフランポワーズすることをとても望んでいます。

フランポワーズは私の忠実な使用人です。ショパンがフランポワーズを気に入っているのは

正しいことなのです。

従って、彼は、あなたに、すぐに長さ5ヤード(4.57m)幅2インチ(5.08㎝)のレースを送るように頼んでいるのです。少なくとも、1ヤード約10フランで50フランかかると思います。

それと、どのような素材のショールでも構わないので、約40フランでショールを買ってノアンへ至急送ってください。」(約9万円)

サンドはショールの説明をくどくどとロゼールにした。

サンドは詳しくショールにこだわって書いた「このような素晴らしいショールですよ」

使用人への贈り物にしては、高価なショールとは。。。よくわからぬ買い物なのだ。ショパンが母親から借金を返すためにすこしづつポーランドへお金を送るように言われたばかりなのに、このような買い物をするであろうか・・・サンドはショパンの命令と言っているが、ショパンは買い物はフォンタナに頼むであろうから、サンドの言っていることは不信であるのだ。サンドは本当は自分がノアンで芸術家の集まりの時に、自分が「あっ!」と言わせる自分のショーの出し物のために使う小道具に必要だったのかもしれない。

その集いの日に間に合わなかったら、自分の誘惑の計画が台無しになりサンドにとっては損害なのだ。。。

ショパンは、ノアンにいる間に集中的に新作を書くことを前の年もしていた、しかし、1842年のノアンは違うのだ、それはフォンタナがアメリカへ行ってしまったのだ。

ショパンは友人マッシンスキを亡くしたばかりだった。そして、友人であり秘書のフォンタナに1年前のように頼みごとが出来なくなってしまった。

ショパンは頼れる友人が一人二人と減っていた。

ショパンは作曲の校訂を嫌っていた弟子で、サンドの子供の家庭教師ロゼールに頼まなくてはならなくなってしまったのだ。

ノアンの館の庭にあるジョルジュ・サンドの銅像 

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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