ルビンスタイン兄弟:アントン&ニコライ(1862)
ニコライ・ルビンスタイン (アントンの弟)
ニコライ・グリゴーリェヴィチ・ルビンシテイン(1835年6月2日モスクワ - 1881年3月23日)はロシアの音楽教育者、ピアニスト、作曲家、指揮者。アントン・ルビンシテインの弟で、チャイコフスキーの親友である。ドイツ風ユダヤ系ロシア人。
1866年9月1日にモスクワ音楽院を開設し、初代院長を務めた。兄の名声の陰に隠れてしまっているが、最も偉大なピアニストの一人として名高い。演奏様式は、兄のような激しさとは対照的であった。ニコライは、古典的な演奏でリストよりはクララ・シューマンに近かったと言われている。
チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲第1番》はニコライの依頼で書かれたが、ニコライが気に入らず、書き直さないのなら発表はさせないと言った。
しかし、チャイコフスキーはそれに反発して、ハンス・フォン・ビューローに初演をさせて献呈もした。しかしながら、現在普及している版は改訂版である。
その後、ニコライはチャイコフスキーへの評価を改めてモスクワ初演では指揮を担当し、以降はピアノ独奏も行った。チャイコフスキー《ピアノ協奏曲第2番》はニコライに献呈された。
1881年3月23日に、ニコライはパリで腸結核により客死したため初演は実現しなかった。そのため、初演は翌1882年に兄アントンの指揮、セルゲイ・タネーエフの独奏により行われた。
チャイコフスキーはニコライの死後、《悲しみの三重奏曲 イ短調》を作曲。『偉大な芸術家の思い出に』と献辞した。
ニコライの代表作、《タランテラ ト短調》《シューマンの主題による幻想曲》。
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