F.CHOPIN、フレデリックの幸せとルドヴィカの悩み

「私は、気が狂いそうなほど幸せで…」ショパンは14年ぶりに会った姉ルドヴィカとの再会をそう表現した。

ショパン34歳でルドヴィカが37歳、ノアンでついにふたりは再会した。ショパンがポーランドを発ったのは1830年のことだ。それ以来、一度も姉ルドヴィカとは会っていなかった。

ショパン20歳でルドヴィカ23歳のとき以来、14年ぶりの再会だった。

手紙でパリとワルシャワを年に数回やりとりはしていたものの、姿も声すらもずっと聴いた事もなかったのだ。1830年の11月蜂起以降、ポーランドに残して来た家族の苦労を思うショパン、家族と離れ、遠い異国でひとりペンと5線譜で戦い続けてきた弟フレデリックを思う姉ルドヴィカ。それぞれの14年の歳月の苦労は、お互いの姿の変わりようで言葉も出ないほどであったであろう。感極まる再会であったことは間違いない。

そして、ふたりは直ぐに昔に戻ることが出来たであろう、それが肉親というものだ。

ショパン家はとくに家族の絆が強かった。

ショパンはパリで1週間、姉夫妻が世話になった弟子のロゼール嬢にノアンからパリへお礼を一筆したためて送った。

「…パリでルイーズ(ルドヴィカ)をあなたは助け親切にしてくださって、お礼申し上げます。…今日、ノアンに到着したばかりですが、パリに到着した時と同じぐらい、忙しくしています。私は気が狂いそうな程幸せです。このフランス語をあなたが理解できるかを私は考えました。

いずれにしても、私の友情の全てをあなたに理解してほしいです。ショパン」

続いて、サンドも同じくロゼールにショパンに続けて書いている。

「かわいいロセール、私はあなたに愛を送ります。私は小説を書くことに忙しくしています。(小説『悪魔の沼』)もうすぐ完成したら、私の愛情をあなたに送ります。

ソランジュがあなたにキスを送っています。サンド」

ルドヴィカ夫妻から、ロゼールの分のお土産やお礼のお金を受け取っていたサンドは機嫌が良かった。だから「かわいいロゼール、言いつけ通りに、勝手に私を飛び越えてお礼をもらわなかったいい子だね。」と、いう意味を言ったサンド。

サンドの後に、ルドヴィカもパリにいるロゼールにノアンからお礼を述べた。

「私たちは幸せにもかかわらず、私たちは、あなたのことを考えています。

親愛なるロゼールさん、私の夫は、控え目で、非常に静かです。それが続くかどうかはわかりませんが。 彼は絵を描くことに忙しく、彼は何も話しません。」

ルドヴィカは夫のヨゼフのことをそう話した。彼は、唇を閉じているというのだ。

ヨゼフはサンドの罠に嵌められない男であった。サンドとの会話を避け、関わらない姿勢を通していた。ヨゼフの人と関わらないという姿勢はこの先も一貫していて、弟フレデリックに対しても関わらない態度がルドヴィカを悩ませることになるのである。

ルドヴィカは、この時はまだ、そこまで夫ヨゼフを疑ってはいなかったものの、内心はヨゼフの態度に不満を感じ始めていた。そして、

ロゼールに続けて書いた。「夫は、あなたさまによろしくと申しています」これは、唇を閉じているヨゼフが言うわけがないのだ。夫が一筆書いてくれないためルドヴィカは仕方なく

ロゼールにそう書いたのだ。そして、「私たちのミドジンスキ様によろしく伝えてください」と、付け加えた。ポーランド貴族と称したロシア人がこの頃ポーランドにはいた、その中のひとりのルドヴィカの友人が一緒にパリまで来たのだが、ショパンがいなかったとうことで先にポーランドへ報告に帰ることにした。

ルドヴィカの夫もロシア寄りであった。

ルドヴィカは板挟みに悩むようになっていくのであった。

フレデリック・ショパンの姉ルドヴィカとその最初の子供 

最初に生まれた息子ヘンリックブロニスローを抱いてるルドヴィカ。

1833年生まれ、1899年にパリで亡くなる。彼は1863年1月にポーランドで蜂起した中佐 - 中佐だった。

大人になったルドヴィカの息子ヘンリックブロニスロー(1833年生-1899年)

[ショパンの姉ルドヴィカの子供たち]

ルドヴィカの2人目の子供、ルドヴィカ・マグダレナは1835年に生まれ、1890年に亡くなりました。ルドヴィカはフレデリック・ショパンが亡くなる年の1849年にパリに連れて行った。ルドヴィカ・マグダレナは14歳でした。後で彼女はルドヴィカ・マグダレナはルドビク・チェチョンスキ (1827年 - 1882年)と呼ばれる不動産所有者と結婚した。

3人目の子供フレデリック・ボルスローは1840年に生まれましたが、わずか17歳で1857年に亡くなりました。

私の4人目の子供、アント二イ・ジェリスワフは、1843年に生まれ、1922年79歳で亡くなりました。彼はワルシャワ自治体建築協会の事務員でした。







Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです  

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