F.CHOPIN、セーヌ河の娯楽とノアンの台所に吹き荒れる暴風雨

ショパンはノアンで昨年の夏に姉ルドヴィカが来てくれた出来事が大きかったことを、1845年の夏のノアンでひとり部屋に閉じこもりひしひしと感じていたのである。

その寂しさから逃れるかのように、ショパンはノアンの2階の自分の部屋でワルシャワの家族と言っても姉ルドヴィカに宛てて、湧き上がってくる話題を取り留めもなくペンを走らせた。

「僕がこの手紙を書くために机に向かうのはこれで4回目です。

やっと終わらせようと思います。これを書き始めてから天気が変わり、今日は雨が降っています。

今月のパリのお祭りが上手く行くよう祈りましょう。

今年はあなた方(ルドヴィカ夫妻)が昨年パリを訪れた時とは違い、イルミネーションがつくようになります。

大衆娯楽の需要に目を付けている連中はセーヌ川に新しい娯楽の趣向を凝らしています。」

それまで、ランプなど照明器具に鳥や魚の動物油を液体燃料として使っていたため、大きな照明技術が進化しなかったのが、1840年代に入ってからは、

鯨油の発見で、照明費の大幅な削減が実現したことで、パリのお祭りの照明もこの頃から初めてイルミネーションが使われるようになったことがショパンの話からも伺えるのだ。

「派手なペイントのボートがあり、夕方にベネチアンのゴンドラで河を昇降します。

僕は見てはいないのですが、大通りはどれも目新しさがあり、群衆が水上に行こうと現れています。

シャンゼリゼは、それほど明るく照らされていません。その代わりに、カンテラ(手提げランプ)の素晴らしさがセーヌ河沿い全体に人々が動員され照らされます。」ショパンはまだ見てはいないものの、パリの新聞での予告を読んで想像力を膨らませて書いた。

「花火、水上スポーツ、たくさんのボートレースなどもあるでしょう。

新しいアイディアはこと尽きず、細心の注意を払う必要があります。そのため、事故が発生する可能性として溺死や群衆による窒息のケースを防ぐことは不可能です。

昨年の観光客の群れをカラサンティとルドヴィカはきっと覚えているでしょう。そのような愚か者は、群衆が大きくなればなるほど、彼らがより楽しめるようになるのです。」ショパンは自分はパリ祭は見には行かないのだがそう語った。

そして、ノアンでの生活のことを続けてルドヴィカへ話した。

「私たちは屋外でも台所でも大きな嵐に見舞われています。」

ショパンはノアンで召使いに食事を作らせる生活が酷いものであると悲鳴をあげているのだ。

「外も台所もひどい嵐です。

外で何が起こっているのかは見ればわかることだが、

もしスザンヌ(使用人)が文句を言いに来ていなければ、台所の中で何が起きているか僕には何も知らなかったのです。

使用人のヤンはスザンヌの名前をフランス語で呼んでいるのですが、

テーブルからナイフを取るときにヤンはスザンヌのことを

『雌豚のように醜い』とか『背中のような顔』とか呼んでいるのです。…

… そのため二人はしばしば対立する。

それに比べて、サンドの家政婦のほうはというと、とても頭がよくて間に合います。

僕の使用人は自分のために追い出さなければならないことになりそうです。

僕は本当はそんなことはしたくないのです。厄介なことにモーリスとソランジュも

僕の使用人を嫌っているのです。

理由はヤンの仕事ぶりは信頼できるものだからです。」

どうやら、ノアンの使用人とサンドとサンドの子供を交えた生活はもめ事が絶えない毎日のようであった。

ヤンは口は悪いが仕事はしっかりやるが、スザンヌは手際が悪く仕事が間に合わないのだ、それでイライラするヤンはスザンヌに辛く当たり、スザンヌがショパンに泣きつきに行き、

それを見ているモーリスとソランジュもショパンの使用人を嫌い、更にもめるという構図

なのであろう。

1年前に姉ルドヴィカ夫妻が来てくれた平和なノアン、あれはサンドが装っていただけで現実は嘘だったのですとフレデリックはルドヴィカに言いたかった。

ノアンの館 食堂の家具類は現存せずイメージ

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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