F.CHOPIN、ノアンからワルシャワの懐かしい友の顔をひとりひとり思い浮かべるフレデリック

「もう夕食の時間です」ショパンは気が付くと1日中ワルシャワのルドヴィカへ書簡を書くために机に向かっていた。もうノアンは夕暮れ時である。ショパンはワルシャワの家族に書簡を書き始めてから既に5日目であった。こんなにもたくさんの文章をしたためながら、ショパンは作曲も怠らずに壊れたピアノに向かい部屋のなかで想像力と霊感に満ちた曲を密かに生み出していた。

「もっと書きたいことがあるのだけれど、今日中に絶対にこの書簡を出そうと思っているのだよ。

ロゼール嬢がパリから投函することになっている」

ロゼールを信用できなくなっていたショパンであったが、ロゼールの疑いが晴れたのであろうか、ショパンは再び、弟子のロゼール譲に書簡をパリからワルシャワへ送るように頼んだ。

「僕は手紙のことは心配していません。

今は家族のみんなが散り散りになっているか、そうでなければあらゆる計画に追われている時期なのです。でも、ぜひママを説得して、田舎で休暇のようなものを過ごすようにしてください。」

父ニコラスが73歳で亡くなって1年経ったのだ、残された母のユスティナ63歳も目がよく見えなくなり弱っていたのだ。フレデリックは母を気遣って書いた。

「バルチンスキ(イザベラの夫)も

徹底的な休息が必要です。そして、神がルドヴィカの子供たちをお守りくださっていると信じています

カラサンティは昨年ノアンでサンドの息子のモーリスに勉強を教えたした時よりも自分の子供たちをしっかり教育するべきですよ。

モーリスが覚えたことは、どもりながらひどいポーランド語をいくつか話すくらいですよ。」

カラサンテは昨年、ノアンに来た時に、モーリスにポーランド語を教えたのだ。

「イザベラは皆の中で一番精力的であるのだから、最大限に努力する必要があります。

かわいそうなルドヴィカが疲れないように気を付けてあげてください。イザベラと僕は色白です、それで僕たちは色の黒い婦人のことが大いに心配なんです。

あなたが(ルドヴィカ)まだワルシャワにいるならば、僕のワルシャワの友人や隣近所の人たちによろしく伝えてください。

そして、フレデリック・スカルベック(ショパンの代父)と、エルスナー先生、ノヴァコワスキ、ベルツァ、ティトゥス(親友)、その他のご婦人によろしく伝えてください。

昨夜は、僕はルティンスカ夫人の夢を見ました。楽しい夢でした。よくを彼女のことを思い出します。

僕の最愛のママとあなた方全員を抱きしめます。フレデリック」

ショパンはワルシャワの家族のひとりひとりを細やかな心で気遣い、

20歳のときからずっと会っていないワルシャワの知人や親しい人たち、ショパンの代父スカルベック、恩師のエルスナー先生、そして親友ティトゥスがどうしているか、ひとりひとりの懐かしい顔が思い浮かび、誰も親しい人が来ないノアンから、ショパンはひとり2階の部屋から遠いポーランドへ思いを馳せたのだった。

ノアンの館のフランス製のライティングデスク (家具は現存せずイメージ)

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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