F.CHOPIN、フレデリックが5日間かけた書簡の追伸はサンド

ワルシャワの懐かしい仲間たち・・・、ショパンには記憶の中の15年前の友の顔しか思い浮かばない。友の顔は15年前で時間が止まったままだ、写真は滅多にない。忘れないように毎日のように思い出して記憶を辿るフレデリック…「フレデリック・スカルベック(ショパンの代父)と、エルスナー先生、ノヴァコワスキ、ベルツァ、ティトゥス(親友)、その他のすべてのご婦人によろしく伝えてください。」この中に一番気がかりな

コンスタンツェ・ゴドフスカの名前が書けないフレデリックだった。コンスタンツェは1832年に既に結婚して5人の子供の母親になっていた。ルドヴィカから1年前のノアンでフレデリックはその噂を聞いていたであろう、「すべてのご婦人」とはそれとなくコンスタンツェのことを指していることはルドヴィカなら分かるであろうということなのだ。

コンスタンツェはこの年の1845年に失明しているのである、フレデリックはそれを姉ルドヴィカからいつ聞かされたかの明確な日付は不明であるが、1845年は既に8月である、長々とノアンでの暮らしやワルシャワの家族を労わることを書簡に書いているのは、

「コンスタンツェに読んで聞かせて励ましてあげてください、」という意味にもとれるのだ。5日間もかけて書いた書簡だったが、いつものように必ずサンドの監視が現れるのである。

「この家の愛人は今、小説を書いています。小説を書くことを中断させたくはないが、サンド夫人はルドヴィカのために一言二言書いてくれると思います。

サンド夫人が暖かい敬意を書いてくれることはわかってはいます。

ああ、彼女は今、小説を書き終えたばかりです。

ごきげんよう、私の愛する人たち。」フレデリックはここでペンを置くいてサンドに代わろうとした…。

「来月のルドヴィカの誕生日に願い事のメッセージを僕は送りますよ。 」・・・

・・・そして、「〔サンドの追伸〕私の親愛なる心の妹。私たちの坊や(ショパンのこと)の健康は良好です。

毎年、彼は夏になると彼は体が枯渇し熱が出ますが今年はそれどころか非常に元気です。あなたがここにいたならば、フレデリックは今まで病気だったことを忘れるでしょう。ああ、

なぜ、私たちは私たちの間でお互いにとても近くにいると感じるのに私たちは実際にははるかに離れています。

私はフレデリックに言付けました。

私たちの人生で最も幸せな日々の記念品としての私の小説[悪魔の沼]をあなたに送ります。 。 。 。」

サンドは自分の小説「魔の沼」の原稿をルドヴィカへ贈ると伝えた。

サンドはルドヴィカにフレデリックと暮らしていることを本当は快くは思われていないことは感付いていた。そのため、サンドはいつものようにフレデリックは健康で私は善良な小説家であると装って書いた。実際には、この先、サンドは小説でフレデリックを裏切り、ノアンの館では毎日いさかいが絶えなくなっていくのである。

サンドの館 サンドの部屋イメージ(家具は現存しない)

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