トマス・テレフセン
(1823年11月26日ノルウェーのトロンハイム - 1874年10月6日パリ)
ノルウェーのピアニスト、作曲家
トマス・テレフセンはノルウェーのトロンハイムの生まれで、そこで彼はオルガニストであった父のヨハン・クリスチャン・テレフセンとオレ・アンドレアス・リンデマンから教えを受けました。
マルチェリーナ・チャルトリスカ公爵夫人がパリのオテル・ランベール (ポーランド亡命者の活動の集会所になっていた。有名な詩人、政治家や芸術家が集った、アレクサンドル・コロナ・ワレフスキー、チャールズ・フォーブスルネ・ド・モンタランベール、フレデリック・ショパン、ジグムント・クラジンスキー、アルフォンス・ド・ラマルティーヌ、ジョルジュ・サンド、オノレ・ド・バルザック、ベルリオーズ、フランツ・リスト、ウジェーヌ・ドラクロワ、そしてアダム・ミツキェヴィチなど)へ、トマス・テレフセンを連れて行き、1851年4月29日にサロンで紹介したのが始まりでした。
彼はパリで作曲家でピアニストのフリードリヒ・カルクブレンナーの講義を何度も受け研鑽を積みました。
彼は1844年から1847年の間、ショパンから教えを受けました。
ショパンはテレフセンの個人的な友人にもなりました。彼はショパンから大きな影響を受けました。それは、音楽的嗜好、演奏、作曲の様式にまで及びました。パリの社交界で成功したテレフセンは、1849年にショパンが亡くなった後、彼はショパンの弟子を引き受けました。その中にはショパンの最晩年にショパンをイングランドとスコットランドに招いたことで知られるジェーン・スターリングも含まれていました。
1850年代、1860年代、テレフセンはイングランド、スウェーデンそしてノルウェーへと演奏旅行を行い大成功を収めました。
作曲家としてのテレフセンは44の作品を遺しました。ピアノ独奏曲、ピアノ協奏曲2曲、室内楽曲などです。彼は多くの作品をポーランド、ロシア、フランスの貴族のために捧げました。
テレフセンは、1874年10月6日彼はパリで亡くなり、オートゥイユの墓地に埋葬されています。
*ショパンにまつわるお話*
テレフセンはショパンから教えを受けましたが、二人は友人でもありました。ショパンのオリジナルのデスマスクがノルウェーのトロンハイムのリングヴェ美術館にあるのはテレフセンが遺したからです。
Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景
Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです
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