~ショパンの才能に立ちはだかる壁、フランソワ・ジョゼフ・フェティス~

フランソワ=ジョゼフ・フェティス

(1784年3月25日 モンス - 1871年3月26日 87歳没ブリュッセル)

ベルギーの作曲家、音楽教師、音楽学者、

フェティスは、アントワーヌ=ジョセフ・フェティスの長男だったエノーと、有名な外科医の娘であるエリザベス・デスプレの間にモンスで生まれました。彼には9人の兄弟姉妹がいました。彼の父親は、サン=ウォルトルードの貴族の血筋のオルガニストでした。

彼の祖父はオルガンメーカーでした。彼は彼の父によって音楽家として訓練され、若い頃に聖ウォルトルードの聖歌隊オルガンで演奏しました。1806年10月、彼はフランスの政治家ピエール・フランソワ・ジョセフ・ロバートとロベスピエールの友人ルイーズ・ド・ケラリオの娘であるアデレード・ルイーズ・キャサリン・ロバートと結婚しました。

彼は、1800年にパリに行き、パリ音楽院でフランソワ=アドリアン・ボイエルデューやジャン=バティスト・レ、ルイ=バルテレミ・プラデールに学びました。

1806年ローマ式典礼聖歌の校訂を手掛け、1806年、代表作『万国音楽家列伝』の執筆に着手、1834年に出版。

1821年にパリ音楽院教授に任命されました。1827年パリの最初の音楽専門雑誌『ルヴュ・ミュジカル 』を発刊しました。フェティスは、パガニーニ、シューマン、ベルリオーズ、ヴャン・バプティスト・ヴィヨームと親交を結びました。1833年、ベルギー国王レオポルト1世の要望で、ブリュッセル音楽院院長ならびに宮廷楽長に就任。

ブリュッセル音楽院における定例演奏会の創始者で、没年までその指揮を続け、歌劇やオラトリオから歌曲などの、膨大の作品を遺しました。


**ショパンエピソード**

ショパンは18歳の9月、ベルリンへ発とうとしていました。フレデリックがそれまでに書いた作品には、ロンド ハ短調 1825 年作品10、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の主題による変奏曲 変ロ長調 1827 年作品22、序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 1829-30 作品41,52

ピアノソナタ第1番 ハ短調 1827-28 がありました。

ショパンは、この頃これらの作品のうち、変奏曲とソナタをライプツィヒの出版社に送ったところでした。しかし、その後はショパンは生涯出版に苦労を伴うことになりました。

ショパンの才能と噂はフェティスの耳にも入り、ショパンの作品も彼の目に留まったかもしれません。そして、ちょうどそのころ、将来、ショパンの姉のルドヴィカの夫となるカラサンテがパリへ行っていました。そこでカラサンテはショパンがパリで嫌ったピアニストのソビェスキに出会いました。ソビェスキはフェティスからの頼みで、ショパンにフェティスの雑誌に掲載する記事を書かないかと伝えてきました。

それは、ポーランドの音楽状況やワルシャワの人々の生活についての情報をフェティスが欲しがっているという申し出でした。少年ショパンは思慮深く、また長いものに巻かれない性格でした。フェティスはこの頃、雑誌の出版とパリ音楽院で職を得ていて、裕福な貴族の出身の彼は何も困っていないはずでしたが、物価の高いパリではフェティスは貧乏に悩まされ借金から逃れる生活でした。フェティスは雑誌のネタをタダせしめられる若者を探していたのかもしれません。フェティスはショパンの才能は世に出さないで自分のものしたかったのかもしれません。ショパンは、

ティトゥスに「パリの雑誌は真実のみを伝えるべきであり、僕はワルシャワのオペラよりも劣るものも、またそれ以上のオペラも、まだ僕は観ていないのだよ。だから、僕には評論を書くのにふさわしい人物ではないのだから・・・」などと話して、フェティスからの誘いを断ったショパン少年でした。ショパン少年にはたとえフェティスに情報を与えても自分には一銭の得にもならないどころか、雑誌に載るときにはフェティスの名前で掲載されるか、はたまた内容は捻じ曲げられてしまうのではないかと、ショパン少年は知っていたのでした。

それでも、ショパンはパリへ行った1831年にフェティスに会いに行き「彼からは学ぶことがあると」ワルシャワのエルスネル先生に伝えましたが、フェティスがショパンを受け入れなかったと解釈するか、ショパンが自由を選んだと解釈するかはショパンしか知りません。しかしながら、ショパンは、「あれでは音楽家になれない」と悟っていたのでした。




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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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