F.CHOPIN、クリスマス・イヴにリスト、スカルベック、ヴィトウィッキを思い出し眠れぬ夜を過ごすショパン

ショパンはクリスマス・イヴもパリのアパルトマンで書きかけの≪舟歌作品60≫と≪幻想ポロネーズ作品61≫の続きを書いていた。パリに居ると訪問客やレッスンで落ち着かないため作品を仕上げる時間が足りないのだ。それでもなんとしてでも仕上げなくてはならない...。夜になり少しは静かになり、やっと仕事に集中しようと思っても、ショパンの頭の中は、作曲以外の雑念があれこれ頭の中をよぎっては消え、消えたかと思うとまた浮かび、心配事にはきりがないのだ。新しい家族を持てないショパンは名づけ親になっても全くやりがいのなさを感じていた。妹イザベラの孤児院のための人助けには少しはなっていてもショパンの心は癒されはしない。結局はそれもイザベラを助けるためだけになっていた。

ショパンはリストの事も考えると内心腹立たしいのである。あいつは僕に何を言いに来たのか。。。ショパンはもやもやとした気分なのだ。リストは3人もの子供と愛人を捨てて、といってもどちらが先に捨てたのか、所詮芸術家はブルジョワジーの時代になっても貴族に比べれば低い身分なことは変わらないのだ。サンドのことも最初はリストの愛人だった、それをリストがショパンに押し付けたのである…。リストとダグーの関係も終わったリストは、更に上を狙っている。それに比べて、ショパンはリストのお下がりのサンドと今も暮らしている、と言っても別々の棟に住んでいるのだが、リストほどあざとくなれないのがショパンなのだ。

ショパンにはリストが怪物にしか見えないのだ。。。

それから、ショパンの代夫のスカルベックの妻の伯父とはいったい誰であったのか。ショパンは冷静に考えると会ったこともなく名前も知らない人だったのだ。スカルべックは1830年10月から、ロシア皇帝の要請で、彼は保健健康観察システムを監視するための任務でロシアのサンクトペテルブルクに住んでいた。11月蜂起の時はロシアで封鎖され春までサンクトぺテルブルクに留まっていた。その後グロドノで封鎖され1831年9月にロシア軍が占領した後、スカルベックはワルシャワに戻った。

その後は、ポーランド王国がイヴァン・パスケヴィッチ(1831年から1855年までの総督)の統治下にある間もロシアの保健観察システムの監視をサンクトぺテルブルクで務めていた。1841年に、彼は内政委員会のメンバーになって1842年から(1855年まで)産業通商省産業局長、保険局総裁を務めていたのだった。

スカルベックの妻の伯父はショパンにロシアに鞍替えするよう働きかけにきたのかもしれなかった。スカルベックはこの翌年に皇帝ニコラス1世から聖スタニスラウス勲章二級を授与され、下級貴族からロシアの伯爵の称号を与えられたのだ。

スカルベックは1838年娘と2人の息子がポーランドの愛国的な活動のために数回投獄されたことがあった。彼はショパンが子供の頃をよく知っていてショパンを可愛がっていた。彼がポーランドへの愛がなかったとは言い切れない、子供が投獄されたことでロシアに逆らえなくなっていたのだ。パリにいるショパンのことも自分の出世に差し障るため、妻の伯父にショパンをロシア側に付くよう説得に行かせたのだった。

しかし、ショパンはやはり誰が来たとしても自分を曲げず説得には応じなかったのだ。

ステファン・ヴィトウィッキのこともショパンは考えると眠れないのだ。ヴィトウィッキのことはもしかしたら・・・自分を裏切っていたのか、しかし、彼は11月蜂起の詩を書いたいい奴なはずだ、ショパンの胸中はクリスマス・イヴだというのに教会に行くわけでもなく、

自分の身辺の心配で心が休まらないのであった。ショパンはスカルベックがロシアの伯爵になることをスカルベックの妻の伯父と称する訪問者から聞いたのかもしれない。スカルベックとはもう16年会っていないフレデリックだった。ショパンの代夫だった優しいスカルベック。フレデリック・ショパンの名前のフレデリックもスカルベックから貰った名前なのだ。しかし、11月蜂起でロシアに仕えたスカルベックはロシア皇帝から勲章を受け、スカルベックの姿はショパンの記憶にあるスカルベックの顔ではもうなかったのだ。

フレデリック・スカルベック(1792年2月15日-1866年11月25日)


フレデリック・スカルベック(1792年2月15日-1866年11月25日)

0コメント

  • 1000 / 1000

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです