F.CHOPIN、サンドの次なる計画は、ローラ伯爵夫人にルドヴィカの代わりにどうか来てください!

サンドはワルシャワのルドヴィカからお金の支援の返事を待っていた。

それは、サンドがショパンと南フランスで3か月間暮らすにはお金が必要であるという

計画を4月にルドヴィカに伝えたからであった。しかし、ルドヴィカからの返事は5月の末になっても来なかった。サンドは待ちきれず、再び別の提案をルドヴィカに持ち掛けた。

「親愛なる親切なルドヴィカ

ローラ伯爵夫人にお越し頂けることを私たちは希望します。

フレデリックのために私たちと数日間過ごすことが出来れば私は嬉しいです。

フレデリックはローラ夫人が大好きで、彼女があなたのことをすべて話してくれると思って待っています。ノアンの天気は素晴らしいです。

ノアンの田舎は素晴らしいところです。そして私たちの親愛なるフレデリックは、

私の子供たちと同様、静かな生活と素敵な太陽のおかげで元気に暮らしています。 

あなたが一度足を踏み入れた庭の小道に沿って、私たちは一歩一歩進む度に、あなたを思い出します。

 あなたのお母さんに敬意と優しい挨拶をお伝えください。 私はあなたと心と魂も共にあります。」

ローラ伯爵夫人とショパンは、ワルシャワ時代に父のニコラスから一緒にフランス語を習ったことがあった古くからの親しい間柄であった。

ローラ伯爵夫人(1814年ポーランド、マゾフシェ県-1881年頃パリ)

0コメント

  • 1000 / 1000

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです